Cool Sweet Honey!

太壱編―9―

ひかるが、拒絶した。
僕はとたんに頭が真っ白になった。今まで何度もひかるにキスをしながらも、こうやって拒絶されたことはなかった。怒っているわけでもなく、心底嫌だと思っているような拒絶。その事実に愕然とした。
なぜ、今になってひかるが僕のキスを拒絶するのだろう――?
そう考えて、ふと頭をよぎったことがあった。
――大学なんて出会いはいっぱいあるだろうしさ、普通に恋くらいするんじゃない?――
斉藤さんがこの前、ひかるが「恋」してるのではないかと言っていたっけ。僕はそれを「ありえない」と一笑に付したのだった。そのときの僕は本気でありえないことだと思っていた。だってひかるは男を嫌悪しているし、恋愛にも拒絶感を持っている。そんな彼女が「恋」をするなんて考えられないじゃないか。
けれど今では、斉藤さんの推測が真実味を帯びていた。ひかるが僕を避けるのも、キスを拒んだのも、「好きな奴」ができたからではないか――。そう考えればすべて話が通る。考えれば考えるほど、それしか真実が見えてこなかった。

「・・・もしかして、好きな奴ができたから・・・とか?」
「え?」

ポツリと、心の声が漏れでていた。ひかるは目に見えて動揺していて、その様子がまたそれが真実なのだと思わせるのに十分すぎてイラついた。
僕は、あまりに楽観的だった。ひかるに好きな奴ができるはずないと決め付けて、僕を徐々に意識して好きになってくれればいいと思っていた。ひかるが僕以外の誰かを好きになったときの可能性など考えたことがなかった。
ぼくが何年もひかるだけを見続けて想っていても、その想いが報われるとは限らない。僕の知らないところで簡単にひかるが恋に落ちて、誰かにかっさらわれてしまう可能性だってある。何年も抱え続けてきた想いなんて、その一瞬の恋の前には無意味だった。
ひかるは誰かを好きになって、僕との関係を断ち切ろうと考えているのではないか?その不安が僕を大きく揺さぶった。もし、ひかるが好きな人ができたからこの「約束」を無に帰してほしいといわれたら――?僕は彼女の願いどおりにしてやれるだろうか。自分の気持ちを押し隠して彼女を手放すことができるだろうか。
いや――そんなものは愚問だ。・・・できるわけがない。ひかるが誰を好きだろうとは関係ないし、なにが何でも彼女がほしい。手に入れたい。ひかるが誰かのものになると想像しただけで憎悪でいっぱいになるのに、どうして手放すことができるだろう?僕は冷ややかな瞳で彼女を見据えた。


「ねえ・・・だから拒絶した?僕に耐えられないから?そいつに誤解されたくないから?――それは悪かったね、謝るよ」
「なにいってるのよ。あたしは――」
「でも、例えひかるに好きな奴ができたとしても約束は守ってもらうよ。僕は君の処女を貰うし、嫌がっても泣いても最後まで抱くから。――当然だよね?5年間、君がその権利を奪ってきたんだから」
「・・・・・・っ」

怒りと絶望に任せて口からついでた言葉だった。そうだ、僕はひかるを手放すことはできない。ひかるが僕以外の男を好きだったとしても、そう易々と渡せるものか――絶対に。ぼくはひかるを上から下まで見渡した。・・・僕の好きなひかるは、相変わらずきれいだ。彼女は僕の心の中に住み着いたまま、今もずっと変わらずそこにいる。
僕がこんなにも胸を焦がすくらい愛しているというのに、君は僕から離れようというのか?
僕は心の内に黒々とした感情を持て余しながら、ひかるの唇に指を添えた。

「ひかる。君は僕のものだろう?・・・この唇も、胸も、指も・・・髪の毛一本一本から爪先まで・・・すべて。渡さない、絶対に」

ひかるを誰かと共有するつもりなんてないし、想像しただけで吐き気がする。強い独占欲と嫉妬に駆られた瞳でひかるを見据えていた。僕がこんなにも執着し、激しい感情を持っているなんて誰も知らないに違いない。僕だって今の今までこうやって感情を吐露させるなんて思いもしなかったのだから。
ひかるはじっと黙っていたかと思うと顔を上げて、強い瞳で僕を睨み返してきた。

「・・・あたしは逃げないわよ。あんたが約束守ったらちゃんと差し出してあげるから安心なさい。あんたが欲しがってる、この無駄に男受けする体をねっ!」

ひかるの泣きそうな、悲痛な叫びを聞いて――僕は我に返った。僕はひかるに何を言った?自分の言葉を思い出して瞬間的に体中の血の気が引いた。
――「例えひかるに好きな奴ができたとしても約束は守ってもらうよ。僕は君の処女を貰うし、嫌がっても泣いても最後まで抱くから。――当然だよね?5年間、君がその権利を奪ってきたんだから」――
僕はただ焦りと不安、怒り――いろんな感情にせめぎあっていて、自分の言葉のもつ意味をきちんと理解していなかった。どれだけ彼女を傷つける言葉か考えることもせず、感情を爆発させてしまった。これでは僕が、ただひかるを抱きたいと思っているだけだといっているようなものだ。一番ひかるが気にして、一番僕が彼女に否定してやらなければならないことだ。
ひかるがその権利を奪ってきただなんて、どうして僕が彼女を責められる?彼女の示した「約束」を利用して側にい続けることを願い、彼女を手に入れようと浅ましく思っているのはこの僕だというのに!ひかるが僕にわずかな罪悪感を持っていることを知っている。それにもかかわらず、僕は彼女を責めた。そんな権利などないというのに、むしろ僕が責められるべき「約束」だというのに、だ。
ひかるは呆然としている僕を押し戻して、教室を出て走り去っていってしまった。ひかるに謝らなければ、と彼女の名前を呼んだけれど、彼女は振り返らなかった。僕の側から一刻も早く逃げ出したいような後姿だった。
僕は教室の中に戻って、壁に背を預けるとズルズルと座り込んだ。情けない、そしてひかるを傷つけた僕自身が憎い。僕はずっと彼女を傷つけようとする何ものからも彼女を守ってやりたかった。それが僕の使命だと思って見守り続けてきた。
それなのに――5年前も今も、結局彼女を傷つけているのはこの僕だ。なんという皮肉だろう、僕のひかるを好きだという気持ちがいつだって彼女を傷つけている。いっそのこと、僕がひかるから離れれば彼女は傷つかないのだと思う。わかってる。わかっていても、僕にはできない。僕自身がひかるから離れることに耐えられないのだから・・・。最後には、我が身かわいさが先立ってしまう自分に、苦笑せずにはいられなかった。



***

帰りの時間はすぐにやってきて、僕はひかるに謝った。彼女は頷いて僕の謝罪を受け入れてくれたけど、実際は納得していないことは表情からわかった。それも当然だ、信じてくれと懇願する権利ははぼくにはない。
さらに堪えたのは、ひかるが僕のことを疑わしげに見て、僕への信頼が揺らいでいるのが見てとれたことだ。僕は自分で自分の信用を落とした。その事実を目の当たりにして、胸が苦しくな
った。こんなひかるを傷つけてばかりの僕を、彼女は本当に好きになってくれるのだろうか――。
自業自得とはまさにこのことで、どんなに悔いても状況は変わるはずもなく……僕は煩悶としていた。

バイト中だって、ひかるは僕の側にいてくれない。そうすると、他の誰かと一緒にいるひかるを見ることになって……今は斎藤さんと彼女が楽しそうに話している。
実に身勝手な話ながら、何をそんなに嬉しそうに話してるんだよ、と腹立たしかった。かといって会話に割り込めば、僕を避けているひかるは嫌な顔をするはずだ。僕はこれ以上嫌われたくない、だから見守ることしかできなかった。

「……それで……、二ノ宮さん、聞いてます?」
「え……ああ、なんだっけ?」

僕がぼうっとひかるを見ている間にも、高野さんが僕に話しかけていた。心ここにあらず、で受け答えも随分適当になっていたはずだ。話をあまり聞いていなかったことを誤魔化すように高野さんに笑顔を向ける。高野さんは僕から顔をそむけて、こほ、と咳をした。

「風邪ひいたの?」
「はい、少し・・・」
「そっか、気をつけてね」

さっきまで話していたくせにようやく気がつくなんて、周りを見ていないにも程がある。そんな自分に苦笑しながら簡単にそれだけ言うと、ひかるとちょうど目が合った。けれどひかるはまた、すぐさま僕から目を逸らす。そのことに苛立って僕をかき乱した。



***



10時になるとバイトは終わり、上がることになった。店長から上がるように言われて、ひかるはまだホールにいたけれど、すぐに来るだろうと思って声をかけなかった。スタッフルームに行こうとするとき店長が高野さんに、心配そうに声をかけていた。元々彼女は色白なので、それがいっそうはかなげにしていた。

「体調は大丈夫?悪化してない?」
「はい・・・。それに、あとはもう帰るだけですし・・・」
「ここから家まで遠くなかった?心配だなあ・・・」
「・・・もし辛いようなら、僕が彼女を送っていってもいいですよ。店長」

ひかるもいるし。彼女だって、体調の悪い子を助けてやるのが一番だと思うはずだ。僕の申し出に店長は安心したようで、高野さんに「二ノ宮くんがいいならそうしてもらったほうがいい」と言い残して、仕事に戻っていった。高野さんが僕を伺うように見上げてきたので、彼女を安心させるように微笑み返した。
女の子に近づき過ぎないように気をつけてはいても、今回のことは仕方がない。体調が悪いなら気を遣ってあげなければならないし、ひかるが一緒にいれば何の問題もないだろう。ひかるがいると思ったから気軽に提案していた。
ひかるがスタッフルームに姿を現したのはもう少し時間が経ってからだった。

「ひかる、よかった。高野さんがやっぱり辛いみたいで、帰るのにも20分くらいかかるらしいんだ…だから、」
「じゃあ、ついでに送ってあげればいいじゃない。放っておけないし、送るくらい簡単でしょ」
「そうだよね。ひかるはもう帰れる?」
「……あたしはラストまでやることになったから」
「そうなの?じゃあ高野さん送ったら適当に時間潰して、ひかるを迎えにくるよ」
「わざわざそんなことしなくていいわよ。斎藤さんが送ってくれるらしいから」

ひかるがラストまでバイトをする、というだけでも寝耳に水な話なのに、ひかるは斉藤さんに送ってもらうという。斉藤さんは確かに信頼できる人だけど、ひかるに関しては心の狭いぼくが簡単に許せることではなかった。たとえそれが、愚かな嫉妬であったとしても。

「…だめだ。他の男にひかるは送らせない」
「他の男って…斎藤さんはよく知ってる先輩でしょ」
「それでもだめ。君を男とふたりきりにしたくない。ましてや夜の車内なんて論外だ」
「・・・わかったわよ。勝手にすれば?」


ひかるは諦めたように眉根を寄せながら承諾した。きっと僕にあきれ果てているのだろう。それでもいい、僕のこれだけは譲れない要求を呑んでくれたのだから。僕は安心してひかるに微笑んだ。

「よかった。じゃあひかる、がんばって」
「あんたはちゃんと送り届けてあげなさいね。高野さん、お大事に」
「すみません、迷惑かけます・・・」
「気にしなくていいよ。困ったときはお互い様」
「そうそう。何かして欲しかったら、太壱をこき使えばいいからね」

高野さんを送るだけ送って、あとは一度家に帰るなりしよう。彼女の様子を見る分に、寝込んで世話するまではしなくてもよさそうだ。彼女を車に乗せると、指示に従いながら車を運転した。

15分ぐらいで高野さんが住むアパートに着いた。二階建ての小さなアパートで、とりあえず二階にある彼女の玄関先まで面倒を見ることにした。一人暮らしの女の子の家にそれ以上踏み入れることはためらわれたので、そのまま帰ろうとしたら彼女に引き止められた。

「すみません、少しの間だけ付き合ってください・・・。一人じゃ心細くて・・・」

断ろうとしても上手い口実も思い浮かばず、そもそも高野さんは「体調が悪い」という負い目も手伝って彼女の強い要求に根負けした。長居することなく、本当にすぐ帰ろう。そう、心に決めて。








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