Cool Sweet Honey!

17話

「な〜んだ、つまんなーい!もうくっついちゃうんですかぁ」

そんな声を上げたのは、ずっと近くにいて傍観していた高野さんだった。腕を組んで拗ねたように口をすぼめている。

「おはよう、高野さん。悪かったわね、あなたの思い通りにしてあげられなくて」
「そうですねぇ。途中までは完璧だったのに。神崎さんの反応とか、二ノ宮さんの動揺ぷりったら最高でしたよ〜。あーあ、残念っ」
「あら、それはよかった。で?太壱と寝たっていうのは嘘ね。キスもあなたが奪ったんでしょう」
「そうですけど。何か文句あります?二ノ宮さんって、素直すぎて、私が女だからって警戒心薄いんですもん。二ノ宮さんにも非があります」
「たしかにね………太壱!!」
「う、はっはい!」

あたしと高野さんのやり取りを黙って聞いていた太壱を、きっと睨みつけた。太壱はあたしの怒りのこもった声にびくりとして、理由がわからないらしい。いけない、いけない。太壱に一言言ってやらなくちゃいけなかったのを忘れてたわ。

「太壱。歯ぁ食いしばりなさい!」
「えっ………?ひか……っ!」

あたしは太壱の顔を思いっきり殴った。もちろん、グーで。平手打ちなんて甘いことはしてやらない。
太壱は思いもよらなかったようで、簡単に地面に尻餅をついた。彼の頬が赤くなっているのを見て、少し気分がすっきりした。太壱は突然殴られたことに呆然としている。それもそうだろう。先程までの甘い空気はどこにもないのだから、ギャラリーも「もう別れ話か!?」とざわついていた。
そしてあたしは、目を吊り上げて、すうっと息を大きく吸い込み太壱を見下ろした。

「この、ドへたれがっ!!バカ、阿呆!!隙作って女に襲われてんじゃないわよ、情けない!あんたのせいでね、こっちは迷惑かけられてるのよ。しかも何?2回もされるってどういうこと?一回されたなら学習しなさいよ、バカ」
「ご、ごめんなさい!でも、ひかるとじゃなきゃぜんっぜん気持ち良くないんだよ!それだけは信じて!!」
「当然よ!気持ち良かったなんて言ったら殺してやるわよ。あんたはあたしだけを見てればいいの、わかった?」
「もちろん!!………それとね、ひかる……一つ弁解したいんだけど…」
「なに?」
「キスは一回しかされてないよ」
「は?あたしがちゃんと見て…っ」
「本当だよ!!」

太壱があまりに強く主張するので、訝しみながらその答えの真偽を確かめるべく、高野さんを振り返った。彼女はおかしそうに、楽しそうに笑っている。

「神崎さんがいるのはわかってたんで、フリをしただけですー。だって一回目のときあまりに嫌そうな顔して、口を何回も拭うんですもん!さすがのあたしも気分悪くて、したくなくなりますよ〜。すごく完璧だったでしょう?アレ」
「ああ…なるほどね。そういうこと」
「それと神崎さん。今まであったこと、くれぐれも私のせいにしないで下さいね?確かに私は二人の仲を引っかき回しましたけど、神崎さんが素直になってれば複雑にはならなかったんですから」

そして高野さんは、罪悪感のかけらもなくにっこり微笑んだ。全くしたたかだわ、この子。そう思いながら、怒りはそれほど感じなかった。
彼女の言葉には一理ある。あたしが意地を張り続けた結果自分を傷つけ、太壱を傷つけたのだから。彼女はきっかけを与えただけだ。あの不確かで曖昧な関係を壊すきっかけを。
だから自分が悩んで傷ついたからといって、高野さんを責めることはできない。
これはあたしと太壱の問題でしかないのだから。
それにこれだけ飄々として開き直られると調子が狂う。「自分は関係ない」と言い逃れしようものなら色々言ってやるつもりだったけど、もう何も言うことはなかった。

「じゃあ、私はもう用無しですね。あ、それとバイトは今週でやめるんで。そろそろ潮時かなって思ってたし、目的はあっさり打ち破られちゃいましたし」
「そうなの。残念ね」
「そう言って頂けてうれしいです。それじゃ、偶然会ったら、また」

潔いというかなんというか…。あの子の場合太壱が好きだったというよりも単に興味があって、あたしと太壱の不可解な関係を知って引っかき回してやりたいと思ったのかも。かわいい顔して随分ひねくれた性格をしてるわ、本当に。
あたしが高野さんの後ろ姿を見送っていると、そっと遠慮がちに「…ひかる」と呼ばれ、手を握られた。

「ごめんね、僕が全部悪かったよね。……怒ってる?」

あたしの赦しを請う目。久しぶりにみたような気がして、ちょっと悪戯心が沸いてくる。

「さあね」
「えぇ!?」
「さ、1限が始まるわよ」
「ひかる!」

怒ってなんかいない。たしかにちょっとムカついてはいるけれど、仕方のないこと。しばらくは怒ったフリをして、このあたしに縋り付いてくる太壱を楽しんでおこう。



***


講義が全て終わり、あたしと太壱は以前と同じように彼の車で帰途に着くことになった。太壱をからかうことはすでにやめて、彼がキスされたことに対して「許し」を与えていた。まあ、本当はあたしが偉そうに許しを与える立場ではないのだけれど。そして、運転しながら太壱が切り出した。

「ねえ・・・ひかる。明日の誕生日、僕に祝わせてもらってもいい?」

ホテルも取ってあるし、と太壱が小さく言い添える。あたしはその小さな呟きが意外で驚いた。

「もうホテルはキャンセルしたのかと思ってた」
「・・・うん、迷ったんだけどね。でも・・・ひかるとそれまでに仲直りできないか未練がましく思ってて・・・できなかった。それに、だめだったら航がカノジョと泊まるってことになってたんだ」
「そうだったの」
「あ、でも勘違いしないでね!ホテルに泊まるからって、ひかるを抱きたいとは言わない!待てって言うんなら、いくらでも待つよ。待つことには慣れてるし、僕は君の側にいられるだけで嬉しいから」
「わかってるわ」

太壱がどんな形であれ「約束」を破って、高野さんにキスを許してしまったことを後悔していること、あたしが待てといえばいくらでも待つこと、そして「あたしの側にいる」だけで十分だという言葉が嘘じゃないことも知ってる。
だけどそれではまた、あたしは太壱に我慢させていることになるのだ。太壱はこの5年間誠意を示し続けてくれたし、あたしを見守り続けてくれた。素直じゃない、意地っ張りなあたしの我が儘に付き合い続けてくれた。
そんな太壱があたしを強く望んでくれている。それが・・・嬉しくないわけがない。それに、あたしだって・・・彼の全てを欲しいと思う。結局、気持ちは太壱と同じなのだ。

「ねえ、誕生日プレゼントに欲しいものがあるの」
「ん、なに?」
「あんたの”童貞”をあたしに捧げなさい」

太壱はあたしの言葉が思いもよらなかったようで、目に見えて狼狽していた。そのままの運転は継続できないらしく、車を道路わきに寄せて停止させ、あたしに向き直った。

「・・・・・・それって・・・・・・そんなこと言われたら、僕のいいように解釈しちゃうよ?」
「いいわよ。あたしが言ったんだから、その通りにすれば」
「・・・ひかる・・・」

シートベルトもはずした太壱はあたしに顔を寄せ、キスをしてきた。開き直って自覚してしまえば現金なもので、今では太壱があたしに欲情しているのだと思うと、少し気分がよくて嬉しかった。
そして太壱はあたしの手をとって、手の甲に口付けを落とす。

「お望みのままに、お姫サマ。僕の全てを君に捧げます」

太壱がイタズラっぽく笑って言うので、あたしもおかしくなって一緒に笑っていた。



***



翌日、あたしの20歳の誕生日。母さんと父さんに、真紅のワンピースを貰った。下にはフリルがあしらわれ、大輪の花があざやかにプリントされている。あたしはタートルネックの上にそのワンピースを着て、上に今流行(はやり)のライダースジャケットを合わせる。
今の時刻は13時ごろ。太壱がそろそろ迎えに来る時間だ。弟の航貴はあたしと太壱が上手くいったことを知って、「残念だな。あのホテル、僕が使う予定だったのに」と口では言っていたけれど、「よかったね」と祝福してくれた。
ただ、航貴の「太壱が随分前に避妊具用意してたみたいだから、安心していいよ」の一言は余計だったけれど。

そうこうしているうちに太壱が家に迎えにやってきた。あたしがブーツをはいていると、家の中から母さんが来て、太壱と挨拶を交わしていた。

「ひかるちゃんをよろしくね、太壱くん。太壱くんなら何の心配はないけれど」
「はい、ひかるをしっかりとお預かりします」
「楽しんできてね、二人とも」
「はい!」
「・・・うん。じゃあ行ってきます」

母さんに見送られて、あたしたちは太壱の車にのりこんだ。二人きりになると、太壱があたしを隅から隅まで見渡すように眺めた。

「そのワンピース、良く似合うね。やっぱりひかるは赤が似合うよ」
「これ、両親のプレゼント。せっかくだから着てきたの」
「へえ、さすがだね。・・・すごく綺麗でかわいいよ。僕は幸せ者だ。こんなにかわいいひかるをエスコートできるんだから」

そして太壱はちゅ、と唇にキスをする。あたしを誘うように、情熱的な眼差しを送りながら。

「はいはい、昼間っから欲情するのはやめて」
「・・・・・・善処するよ」

日本人がよく使う曖昧な言い回しだ。と、思いながらそれ以上考えるのはやめた。太壱が車を発車させ、あたしたちは街に繰り出した。今から普通の「デート」をすることになっている。
テレビを見て気になっていた洋画を見て、お茶をして、ショッピングモールをぶらぶら歩いた。
以前だってこうやって休日に一緒に出かけることはあったから、あまり変わり映えはしないかもしれない。「幼なじみ」でも「恋人」としてであってもあたしたちの関係はあまり変わらない。というか、変わりようがないのだ。
ただ最近は太壱を避け続けていたから、彼と側にいて話すことは新鮮な気がした。あたしを構成するもの全てがやっと、埋まったみたいな安心感を感じる。
あたしたちは少し早めにパスタで夕食を取ると、十分ホテルにチェックインする時間になっていた。


太壱に手をつながれて、あたしたちはエレベーターに乗って部屋の前に到着した。カードキーをもったまま、太壱は動きを止めている。彼を見やれば、不安そうな面持ちで、あたしに「いいんだよね?」と問いかけているのだと感じた。あたしは数秒間彼を見つめて、微笑んだ。
答える代わりに、ぎゅ、と繋がれた手を握り返して。







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