Cool Sweet Honey!

16話

太壱のキスは始め、ぎこちなく触れるだけのものだった。けれど次第に、あたしの口をこじ開けて舌を侵入させてきた。舌のざらついた感触にあたしは驚く。太壱はあたしの驚きに気づくことなく、舌を絡めとるようにしてきた。熱に浮かされたようなキスを。
呼吸するために唇を離すと、次の瞬間にはまた深い口付けをしてくる。彼の体は熱くて、高まっていることが否が応でも分かった。あたしが欲しいのだと、疑いようもなく分かった。だけどそれは、ただ昂った感情を静めるためにあたしが必要なだけだ――。
男子たちが言っていた。太壱も結局は自分たちと同じなのだと。あたしとセックスがしたいだけなのだと。
女子たちも言っていた。太壱はただ、あたしの体に興味があるのだと。あたしが誘惑したのだと――。
ああ、本当に彼らの言う通りなのかもしれない。あたしが誤解していただけなのかもしれない。あたしは何もかもわかっていなかっただけなのだ・・・。
何度も何度も繰り返された言葉は、例えそれが自分の考えに反するものであっても、心の中に根付く力がある。もうその言葉を受け入れてしまいそうになるほど、追い詰められていた。
太壱はキスをやめ、首筋に顔を埋めてきた。ちゅう、と肌に唇を吸い付かせ、舌でなぞっている。太壱の甘さを含んだ吐息を耳で、肌でも感じていた。あたしはそのままなすがままになっていた。視界はぼやけて、嗚咽が漏れそうになる。あたしは・・・泣いてるの?昔から泣くことなんてほとんどなかったのに・・・。
あたしの頬を伝い落ちた涙が太壱の顔に当たり、彼もやっと気がついたようだった。あたしは俯いて、視界は滲んでいたから彼の表情は分からなかったけれど。あたしは独り言のように、ポツリとつぶやいた。

「・・・太壱も結局は同じなの・・・。あたしとそんなにしたいの?あたしの価値はそれだけなの?」
「・・・っ!ごめん、ひかる・・・!僕はそんなつもりじゃ・・・!僕はいつも言ってるでしょう?君が好きだ。だから・・・」
「”好き”って何よ?結局はやりたいんでしょ?何が違うの、同じよ!何もかも同じだわ!”好き”なんて誰でも言える言葉を使えば許されると思ってるの?そんなものを免罪符にしてあたしに触らないでよっ!!」
「・・・ひかる・・・」
「もういや。最悪。男なんて嫌いよ。何の権利があってあたしを貶めるの?どうして何よりも先にあたしの体を眺めるの?もううんざり!それに・・・恋愛だってふざけてるわ。好きだなんだって言って、醜いことを平気でして許されるとでも?他人を傷つけて許されるとでも?バカにしないでよ!あたしを巻き込まないで!」

冷静になどなれるわけがなかった。自分のひざに頭を埋めながら、自分自身を守るように体を抱きしめていた。太壱の顔も見たくはなかったし、彼の言い分など聞きたくもない。あたしの男への不信感、恋愛への嫌悪感は今すべて太壱に向けられていた。

「・・・太壱だって同じ。信じられないの。あんたなんか・・・っ」

――嫌いよ。大嫌い!
そう言おうと思って顔を上げたとき、太壱の顔をやっとまともに見た。その瞬間、言葉が出なくなった。太壱はあたしから発せられるだろう罵りの言葉を予期して、顔から血の気が引いていた。自分の行動をはっきり自覚して、強く後悔している表情だった。
だめ。言ってはだめ!こんなこと言ったら太壱はあたしから本気で離れるつもりだと、知っているでしょう?きっと二度とあたしの側にはいてくれない。太壱を拒絶していると、あたしが嫌がっていると知って、二度と今までのように親しくしてくれない。ずっとこの先、太壱と過ごすことはできない――。
それに、あたしはさっき太壱の行為を拒んだ。あたしの拒絶を知って太壱はもう興味を失ってしまったかもしれない。もうどうでもよくなって、今までのように側にいてくれないかもしれない。
そして・・・太壱が他の男子たちと同じように性的欲求をさらけ出した、今。あたしが体を許さないと知って、他の女の子に手を出したら?あたしにしたようにキスして、触れることになったら?――いや。やめて、そんなことしてほしくない!
その恐れがあたしを蝕んだ。勝手な話だけれど、あたしは太壱には離れて欲しくなかった。側にいて欲しかったし、いつものように、あたしの名前を呼んで笑っていて欲しかった。あたし以外の女の子を想って欲しくなかった。どうしたら側にいてくれる?どうしたらあたしを見つめていてくれる?
そう考えたのは初めてで、このときはあたしの感情がどういう意味を持つのかわかっていなかった。混乱するばかりで、不安から逃れる術を思案するばかりだった。
だから、だからあたしは――

「・・・・・・ねえ、太壱。あたしが”好き”って言うのは本気?それをあたしは信じてもいいの?」
「当たり前だよ!僕はひかるが好きだよ。・・・ひかるが恋愛感情に不信感を持ってるのは仕方ないよね。でも、僕は・・・」
「そう・・・それじゃあ、あたしが二十歳になるまで童貞を捧げなさいよ。誰にもキスしない、抱かないって約束して。あんたが守ったら、その時はあたしを抱くなりなんなりすればいいんだわ!」

――あたしは「約束」させた。あたしの体を交換条件として、あたしから離れないようにするために。太壱が他の誰にも目をくれないように。だって、そう言えば太壱はあたしの隣にいるでしょう?あたしを抱きたいって思っているだけだとしても、きっと離れていかないでしょう?そして――あたし以外に手を出すことはないはずだから――。
あたしは無意識のうちに太壱をあたしに縛る「約束」をしていた。なんて、傲慢で、愚かで、独占欲に満ちた「約束」なんだろう!だけどこうするしかなかったのだ。二十歳になって「オトナ」になれば何かが変わると思ってた。この「約束」が意地っ張りで、かわいげのないあたしの側に、太壱が変わらず側にいてくれる唯一の方法だと信じていた。
このときのあたしは自尊心をめちゃくちゃに傷つけられていて、自分を卑下せずにはいられなくて、自分に自信など全くなかったから。
そして太壱はあたしの「約束」を受け入れた。

「約束するよ、ひかる。僕は君が好きだ。5年経ったとしても、何年経っても同じことを言うから。だから…僕が約束を守ったその時は、ひかるをくれる?」

太壱はやさしさを滲ませて、あたしを見つめて微笑んでいた。そして、そっと抱きしめてくれた。
次の日学校に行くと嫌がらせはぴたりと止んでいた。どうやら昨日、普段温和な太壱があたしへの嫌がらせに対してキレたことが原因らしい。女子たちもあたしを貶めても太壱に軽蔑されるだけだと、彼の怒りに触れてようやく実感したようだった。
太壱があたしのために怒り、守ってくれたのだ。

――”ひかる”――

いつもあたしを見つめて守ってくれた太壱。それは中学以前も、二十歳目前の今も変わらなくて。
・・・あたしは信じてあげられなかった。理解してあげられなかった。
太壱の「好き」だという言葉を、彼のあたしに対する誠実さを、優しさも、気持ちも。
本当は分かっていたはずなのに。彼がどれだけあたしのことを想って、好きでいてくれてるかなんて。せめてそれだけは、信じなければならなかったのに。
幼い頃から太壱はあたしの後を嬉しそうに追ってきて、あたしと航貴が泣かしてもすぐに笑っていた。彼は優しくて、温かくて、居心地がよかった。そんな彼があたしにたいして太陽のように微笑みかけて、あたしを「好き」だという。それが不思議でならなかった。
なんで「あたし」なんだろう。あたしは別に優しいわけでもないし、素直でもなく、意地ばっかり張ってプライドが高い。だからこそ不安が募った。

あたしは自分の気持ちを認めたくなかった。「恋」をして傷つけて傷つけられる、そんな様子を目の当たりにしてよりいっそう意固地になっていた。「離れて欲しくない」と、「あたし以外の女の子を想って欲しくない」と・・・その気持ちこそが真実だったのに、何かの思い違いだと言い聞かせていた。その想いに厳重に鍵をかけて、見て見ぬフリをした。
でも。もう、わかってしまったのよ。誤魔化せなくなってしまったの。この気持ちが大きくなりすぎて、見て見ぬ振りするのはもう無理。潔く負けを認めるわ。
太壱に「約束」した頃から。あの「約束」した理由こそがあたしの気持ちだったんだと思う。
――ねえ、太壱。
まだあたしのことを好きだといってくれる?意地っ張りなあたしに愛想を尽かしてしまった?また、あたしに微笑みかけてくれる?
色々と不安はあるけれど。あたしは。
――あんたが好きよ。バカみたいに真っ直ぐで、ちょっと情けない・・・あたしを誰よりも好きでいてくれる、太壱のことが。


***



自分の気持ちに気がついてしまえば、行動に移すしかなかった。翌日、電車で大学に着いたあたしは駐車場に向っていた。太壱をつかまえて、一刻も早く話をしたい。今朝太壱の家にいくことも考えたけれど、彼の両親に話を聞かれる恐れがあったので止めた。
太壱の高野さんとのキスについても、もうどうでもよかった。そりゃあちょっとはムカつくけれど、もう約束なんて関係ない。プライドなんか関係ない。冷静になって考えてみれば、高野さんの報告もわざとらしかったし、女は時に残酷に狡猾になる。そのことをあたしは身にしみて知っていたはずなのに、不安と疑念に支配されていて気づけなかった。あの意地の悪い笑みも気のせいではなかったのだ。
それに、太壱はああ見えてヘタレだから、簡単に女に唇を奪われる羽目になるのよ。ほんっとうに男ってバカ!油断して、隙を与えて、キスされたんじゃあ救いようがない。
今は太壱があたしを裏切るはずがないと確信していた。

駐車場に近づいた道の途中で、太壱の姿を見つけた。人ごみがあっても太壱は目立つからすぐに分かった。彼に駆け寄ろうとすると、隣には高野さんがいた。太壱の顔を見てみると、珍しく笑顔はなく、うんざりとした顔をしている。あんな露骨に嫌そうな顔をする太壱は本当に珍しい。・・・疑って悪かったかな、と罪悪感すら生まれそうだ。
あたしは気にせず、つかつかと彼に歩み寄った。高野さんが気がついて、太壱も同じようにあたしを見て、驚いた顔を見せる。あれからあたしから話しかけたことはなかったし、避けてばかりだったから彼が驚くのは当然だ。

「おはよう、太壱」
「・・・ひかる・・・」

太壱は喜色を表しそうになって、すぐにしおれたようになった。あたしも随分ひどいことを言ったから当然かもしれない。太壱に何をどういえばいいのか。言葉にして伝えることは難しい。何から言えば分からないし、あたしは言葉の感情表現は苦手だから。
だったら、あたしらしく、あたしなりの方法で伝えるまで。

「太壱」

太壱の名前を呼んで、彼の胸倉をぐいと掴み、引き寄せた。一気に近づく距離。あたしと太壱の目が一瞬合う。
そして、あたしは彼の唇に、ためらうことなくキスをした。

太壱は驚きに目を見開き、同じように大学のキャンパスにいる人々が息を呑むのがわかった。
でも、何もかも関係ないのよ。あたしには。

しっかりと数秒間キスをしたあたしは、唇を離し太壱を掴んだ手も離した。太壱は信じられないことが起きたように、いまだ呆然としている。

「・・・ひかる・・・?」

信じたい。でも、信じられない。あたしのキスの意味を図りかねるようなそんな太壱。その情けない顔がおかしくて、あたしは口元を上げてくすりと笑った。

「ねえ、太壱。あんたが好きなのは誰?あたしを誰よりも愛してるのは誰?」

随分傲慢な聞き方だろう。でも、素直に「好き」と伝えるなんてあたしらしくないじゃない?それに、そんな自分勝手でひねくれたあたしを好きだといったのは太壱なのだから。
太壱の答えも、反応もあたしには手に取るように分かる。だって、太壱が愛してるのはあたししかいないんだもの。
太壱はあたしの問いを飲み込むと、みるみるうちに頬を高潮させて、感動したような泣きそうな表情になっていた。ほら。そうして、次にはこう言うんでしょう?

「僕が好きなのはもちろんひかるだよ!そして、ひかるを誰よりも、ずーーっと昔から愛してる男も僕だけだ!ああ、ひかる。好きだ、大好きだよ。愛してる!」

あたしは太壱に力強く、もう離さないとでもいうように抱きしめられた。さらには顔中にキスされて、あまりの喜びように犬のしっぽでも見えるようだ。太壱の抱擁もキスも随分久しぶりで、あたしは満たされた気持ちになっていた。
大学のキャンパス内で抱きしめあっていると、

「ひかるちゃぁん。良かったねぇー!王子とお幸せにぃぃ!う、ううっ」
「太壱ぃぃ。よかったなぁ。うぐ、泣けるじゃねーか。それよりもお前こんなところでらぶシーンするなよなぁ!このやろぉぉぉ!」

いつの間にか美佳や早苗、太壱の友達もギャラリーの中にいた。えぐえぐと美佳と太壱の友達の一人は大泣きしているし、見知らぬ人々も盛大な拍手を送っている。周りの存在を忘れかけていただけに、驚きだ。

「ひかるちゃーん!もう一回キスして!キスっ!アンコール!」
「そうだそうだー!いけ!太壱ィ!!」

美佳たちの掛け声から始まり、周りのギャラリーによって「アンコール」の大合唱になっていた。みんな随分楽しんでいる。

「だ、そうだよ。どうする、ひかる?」
「まあ、いいんじゃない?」

太壱があたしに悪戯っぽい笑みを向けた。「どうしようか」と相談するみたいな口調だったけど、これから起きることはよくわかっていた、お互いに。あたしたちは二人で笑い合った。高揚感でいっぱいで、羞恥心など微塵も感じない。太壱はあたしの頬に手を添えて、周りのギャラリーに言い放った。

「ひかるは僕のものだから、決して手を出さないように」

にこりと「王子様」然とした笑顔でそう言うと、あたしに唇を寄せてきた。
歓声が遠くに聞こえながら、あたしはしっかりと太壱に応えていた。











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