Cool Sweet Honey!

15話

ひそひそとした話し声、嘲笑するような声、軽蔑と妬みのこもった眼差し。女子からの反応はある程度予測していた。悪意ある噂話を正当な武器としてあたしを追い詰めようとしている。あたしを「男にだらしのないオンナ」と決め付けることで、太壱とのキスの話も自分たちに言いように解釈できるから。
「二ノ宮くんは神崎さんに誘惑されてキスをした」。だから「神崎さんにキスをしたのは別に好きだからじゃない」――と。そしてあたしの無駄に女らしい容姿が、彼女たちの考えに信憑性を与えたようだった。
あたしを貶めることで彼女たちの気分もすっきりするんだろう。人を見下すことは少なからず気分のイイコトだろうから。
それよりもあたしが辟易したのは――男子からの容赦ない、いやらしい視線だった。あたしの胸が膨らみだした頃から、今までも感じなかったわけじゃない。だけど今はあまりにあからさまで、ニヤニヤと口元をだらしなく緩めてあたしを眺め渡す。あたしを見ながらひそひそ話をして、時々興奮した声を出していた。
女子からの話を受けて、多感でまだまだコドモな男子はあたしを「性的」な標的にしてもいいと判断したに違いない。皆が貶めているのだから――と。
そんな日が続いて、あたしは鬱屈とした気分で過ごしていた。

「・・・由希子。意外に漫画でよくあるような、上履きを隠したり教科書を破ったり、机に落書きはしないのね。少し感心した」
「な、なに?感心しちゃだめだよ!十分最低なことしてるよ、みんな!」
「そうね。最近は携帯使って精神的攻撃を仕掛けてくるんだから、頭がいいわよ」

物理的な攻撃は仕掛けてこない割りに、メールで追い詰めてくる。メルアドがばれないようにご丁寧に、パソコンから。着信拒否をしてもすぐにアドレスを変えてくるからキリがない。

「ねえ・・・逆にあたしが、相手の教科書を破ったり上履きを隠してやったらどう思う?驚くかしら?・・・ふふっ」
「えぇ・・・ひかる、何考えてるの?Sっ気が刺激されちゃった?笑顔が黒ーい」
「やられっぱなしは性に合わないのよね・・・。やられたらやり返す。先生にばれても立派な正当防衛だと訴えるわ」
「あはは、いいかもよ、それ」

なんてことをいいながら、強がっていた。仲のいい友達はみんな側にいてくれたし、あたしは傷ついてなどいないと思っていた。絶対に傷ついてる素振りなど見せてたまるものかと振舞っていた。泣いて弱さを見せることは、いじめの加害者たちに負けることを意味していていたから。親にも教師にも絶対言わない。言う程度のことじゃない。自分にはそうやって――「なんともない」と言い聞かせながら。



***



「ねー、二ノ宮といつもどんなことしてんのか教えてくれませんかー?」
「俺もそれスゲェ興味あるー。やっぱり、普段みたいに女王様な感じなの?二ノ宮って神崎さんの言うことなんでも聞いちゃいそうだし〜」
「SMとか似合うよな!ヤベー、興奮するー」
「お前何、そんな趣味あったのかよ」

・・・・・・バカバカしい。特に接点のない男子に廊下で引き止められたかと思えば、こんなくだらない言葉を投げかけられるなんて。ふざけるのも大概にして欲しい。笑い声を上げている彼らを無視してさっさとこの場を離れたかった。
けれど、通り過ぎようとしたあたしの手を男子が掴んだ。

「ちょっとぉ。無視しないでよ」
「何よ。放して!」
「うわ、怖えー。俺らの相手してくれたっていいじゃん、神崎サン。だってさ、どうせ二ノ宮とはヤってんだろー?減るもんじゃないしさぁ」
「あたしと太壱はそんなんじゃないってば!それにあんたたちみたいなバカはどっちにしろ願い下げよ!」
「ふ〜ん。ひどいこと言うね。でもさぁ、神崎さんがそう思ってても二ノ宮は同じだとは限らないんじゃないー?」
「そうそう。周りから王子様なんてちやほやされてるけどさ、あいつだって俺らと同じ男だからねぇ。神崎さんの隣にいっつも犬みたいにくっついてるんだから、ぜってぇ下心あるよ。チャンスがあればしたいと思ってるだろうね」
「あんな人畜無害そうな笑顔の裏でさ、神崎さんのエロい体想像して犯す妄想してんだぜ。間違いないね、神崎さんを見る目だけ違うから。でも仕方ないよな・・・こんなエロい存在がすぐとなりにあっちゃさ」
「ふざけたこと言わないでよ!太壱はあんたたちとは違うの!」
「どうかなぁ」

この男子のニヤニヤ笑いが心底嫌だった。
太壱があたしをそういう性の対象として見ていて、したいと思ってる?
まさか。ありえない。だってあたしと太壱は幼なじみで、太壱があたしのことを他の男子たちと同じようにいやらしい眼で見てるなんて信じられない。あたしがそういう視線を嫌いなのは太壱も知ってるはずだし・・・太壱からは不快な空気を感じたことはないから。
確かに太壱だって男なんだから性的欲求くらいはあるだろう。それは否定しないし、当然の事だと思ってる。だけどあたし相手に――あたしの体に興味を持ってるなんて・・・。そんな素振り、一度も――そこまで考えて、はっとした。
――キスされたのだ。あたしは、太壱に。あの時は何がなんだか分からなくて、その翌日には今の最悪な状況になっていて考える余裕もなかったけれど・・・あのキスはそういうことなの?
興味があって、近くにいたのがちょうどあたしで、その上興味を満たすにはあたしの体が最適で――
――”神崎さんの体エロいもん。きっと誘惑したんだよ”――
誰かがそんなことを言っていた。
――”自惚れるな。二ノ宮くんがあんたを好きなわけじゃない。その体に興味あるだけなんだから”――
――”やらしーオンナ。サイテー”――
誹謗中傷メールにもそんなな言葉たちが並べ立てられていた。あたしは気にしないように、ただの嫉妬からくる中傷だと耐えていた。あたしは違う。ただの噂。なんてことはない、こんなもの・・・。そうやって言い聞かせてきたけれど、あまりに多くの中傷にあたしを支えてきたものが、音を立てて崩れていくような気がした。もう、強がっているのも、限界に近い――。
中傷を気にしないと思っても、完璧にシャットアウトできるわけじゃない。あたしのコンプレックスに触れているならば、それはなおさら難しい。次第にあたしのほうが間違っているのではないか、という気にさえなっていた。
何が真実なのか分からなくなってしまった。あたしが信じてきたものは事実だろうか?本当にあたしは、太壱は――。

「じゃあ試してみろよ。二ノ宮が本当に俺らと違うかさぁ」
「ま、無駄だと思うけどね。誘われたらぜってぇ襲い掛かるよ。だって、そんなエロさ全開で来られちゃったらねぇ。飛んで火にいる夏の虫、ってやつ?あ、俺ちょっと頭いいこと言ったかも」

あははは、と何が楽しいのか男子たちが笑っている。あたしはもう何も言う気になれなくて、さっとその隙に逃げ出した。
もうそれから授業には集中などできなくて、あの男子たちに言われたことが繰り返し蘇ってきた。


***


授業が終わると太壱と昇降口で待ち合わせて帰ることになっている。こうやって一緒にいると火に油を注ぐような気もしたけれど、周りを気にして太壱との登下校をやめるのも癪だったので普段通りにしていた。
けれど今日は太壱がいくら待っても現れない。下校時間はとっくに過ぎているし、太壱のクラスのHRが長引いているにしても遅い気がする。太壱は1組だ。教室に行ってみようか、と歩き出そうとしたとき。

「あ、ひかるっ!た、大変っ」

友達の由希子が息を切らしながらあたしに向って駆けてきた。どうやら何かがあったらしい。

「どうしたの、由希子?」
「あのね、1組の友達にさっき聞いて・・・ひかるが二ノ宮くんと一緒に帰ってることは知ってるから、言わなくちゃって思って・・・」
「なに?太壱がどうかしたの?」
「さっきの掃除の時間に、二ノ宮くんが殴り合いの喧嘩したんだって!」
「・・・え・・・?」
「だから今、生徒指導室にいるらしくて・・・」
「喧嘩・・・太壱が?」
「そうなの!でもその理由はみんな口を閉ざしてて・・・あ、ひかる!?」

あたしはいてもたってもいられなくて思わず生徒指導室に向かって走り出していた。太壱と喧嘩という言葉がどうしても結び付けられなかったから。太壱の性格は温和で、怒鳴ることも滅多にないしいつも笑顔で片付けてしまう。ましてや暴力に訴えたこともないし、そもそも彼がキレたところをあたしだって見たことがないのだ。
何があったの?太壱がそこまでキレる理由があったっていうの?
生徒指導室の前にたどり着いたはいいけれど、中には入れない。ヤキモキする時間が流れた。
しばらくして、生徒指導室のドアが開いて当の太壱が現れた。太壱はあたしがいるとは思ってもみなかったようで、驚いた色を見せる。彼の唇近くには紛れもなく「殴り合い」をした証拠である、絆創膏があった。すると太壱の後から先生と、喧嘩の相手であろう太壱と同じクラスの竹中が出て来た。
竹中はあたしの顔を見るとばつが悪そうにして、ぷいとさっさと去っていった。太壱は彼の後姿を睨みつけた後、あたしに小さく微笑んだ。それはいつもと変わらない笑みだった。

「ごめんね、ひかる。待たせちゃって。先生もお世話をかけました」
「おう、血気盛んなのもいいけど喧嘩ならもっと大人しくやれや。男同士確かに拳が必要なときもあるだろうが、その度にこれじゃあ面倒だろ」
「はい、すみません。以後気をつけます」
「じゃあ気をつけて帰れ」

案外あっさりと先生があたしたちから離れて職員室に戻っていった。あたしはわけがわからず太壱に聞きたいことがたくさんあった。

「どうしたの?何であんたが喧嘩なんてしたのよ」
「んー・・・いろいろとね。それはそうと、ひかる」
「・・・なによ」
「顔色が悪いよ。なにかあった?何か・・・言われた?」

あたしの質問に答えるつもりはないらしく、話の矛先はあたしに向けられた。瞬間に今日男子たちに浴びせられた言葉が蘇ってきた。太壱の質問にあたしが思わず体を強張らせると、それに彼は気づいて唇をかんでいた。そしてあたしの手をとって、わき目もふらず早足で歩く。繋がれた手は、力強く握り締められていた。

「僕の家に行こう。そこで全部話して」

歩いてる最中にも太壱の怒りが感じられた。あたしには、「ごめんね。僕のせいだよね、ごめん・・・」と繰り返し謝っていた。あたしにはもう、誰が悪いのか何がいけなかったのか分からなかった。
ただ太壱に引っ張られるがまま、歩いていた。太壱の家に着くまでずっと、手は繋がれたまま。

太壱の部屋に通されて、彼はあたしにホットミルクをくれた。冷えた体にミルクの暖かさが染み渡る。太壱はあたしを労わるように見つめてきて、その優しさがなんだか辛かった。

「・・・ひかる、何があったの・・・?」
「・・・・・・」

・・・「何」とは一言では言い切れない。あたしの心はもう、ズタズタだった。ただいろんなことがありすぎて、なにに傷ついているのかよく分からない。そして・・・太壱に打ち明けるなど、出来はしなかった。言われた中傷の言葉を自分で口にもしたくない。
あたしが無言でいると、太壱はあたしを抱きしめてきた。ぎゅう、と強く。少しだけ彼も震えていた。

「ごめん・・・。言いたくないよね。いいんだ、何も言わなくても。僕がいるから・・・」

太壱の心臓の音が聞こえる。ドクンドクンと、少しだけ速い脈の音。腕の中にいるとやたらと安心して、あたしも太壱の背中に腕を回して制服を握り締めた。この暖かさと優しさに安堵して、涙が出そうになった。
潤んだ瞳で彼を見上げて、あたしを見つめる瞳とぶつかった。じっと太壱もひたすらにあたしを見つめている。強い、とても強い視線だった。
そのとき「男」の視線に敏感になっていて、太壱への不信感を植え付けられたあたしは・・・気がついてしまった。太壱の瞳の奥に潜む欲望の色を。
とたんに、全ての暖かさが消え去って体が冷え込むように感じた。
――太壱は今、たしかに甘い欲望を感じている。あたしにキスをしたいと、あたしを抱きたいと、訴えている。
どうしてあたしは今までこんなにも強い、彼の衝動に気がつかなかったのだろう。それとも・・・あたしはわざと気がつかないようなしていただけかもしれない。自分に都合の悪いことは知りたくなかったから・・・。
太壱とあたしはみつめあっていて、彼が甘い声であたしの名前を呼ぶと、彼が近づいてくるのを感じた。唇に触れる温もり。そう――温もりを感じるはずなのに、あたしには暖かさは感じられなかった。

このときのあたしには分からなかったんだ。
心が折れていたあたしに、太壱と男子たちの欲望の違いなど。恋愛感情がいまいち理解できないあたしに、太壱がそのときどんな気持ちであったかなんて、彼がどれだけ追い詰められていたかなんて――。

ただあたしは、太壱も彼らと同じようにあたしは欲望の対象でしかないと知って、真っ暗な気分になった。






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