Cool Sweet Honey!

1話

中学生の頃、あたしは20歳になればもっと大人になれると思っていた。何もかも上手く対処できて、自立して、人のことを思いやれると思っていた。
けれど全然そんなことない。
あたしは今あれから何も変っていないのだ――20歳を一ヶ月前に控えた、今でさえ。



「あの・・・神崎さん、聞いてる?」

物思いから現実に引き戻す声を聞いた。全く聞いてなどいなかった。今目の前にいるのが誰なのか、どういった状況なのか、思い出すのに時間がかかった。
あたしが曖昧に微笑むと、男もにこりと笑った。たぶん、自分の容姿に自信があるに違いない。今の笑顔はあたしを「惚れさせよう」としたもののはずだ。
あたしの目の前には男がいる。顔も見たこともないし、名前も知らない。ならば何故、そんな見ず知らずの男と会話をしているかと問われれば、答えは簡単で、告白されたのだ。
といっても肝心な告白のセリフを聞いていないのでなんともいえないけれど。



「俺、君に一目惚れしたんだ」

と、男はなおも続ける。甘い声で誘い、女を口説き慣れているとわかった。男の顔を見やれば、確かに悪くはない。ただあたしの趣味では決してなかった。
少し長めの茶髪はうざったいし、身長だって背の高いあたしと同じくらい。雰囲気も全く軟派な感じだ。

「スタイルいいし、美人で、クールで・・・オトナっぽいよね。ものすごく好み」
「あら、それはどうもありがとう」

わざと誘うように口元を上げて微笑んでやると、男は距離を詰めてきた。本気であたしを落とそうと意気込んでいるらしい。
よくも自分にそこまで自信が持てるものだ。

「だから・・・付き合ってくれない?俺、こう見えてやさしいよ?満足させてあげられると思うし」
「・・・満足、ねぇ・・・」
「そう。一回試してみない?」

男の瞳が欲望で陰る。遠まわしに言っているようだけど、直接的に言うとつまり―「一回やらせろ」だ。
あたしの体を嘗め回すような視線に、虫唾が走った。昔から同じような視線にさらされてきて、少々慣れたとはいっても気持ちのいいものではない。
男たちは随分、あたしのような体がお気に召しているらしい。
中学生の頃から周囲よりも発育がよかった胸。きゅ、と細く締まったウエスト。長くすらりと伸びる脚。
出るとこは出て締まるとこは締まった体なので、全く嬉しくもない褒め言葉だが――グラビアモデルにもなれそうだ、と言われることもある。
だからたまに俗物的で卑しい男たちが今現在のように、寄ってくるのだ。あたしがそんな誘いに乗るいやらしい女だと思っているのか、全くもって腹立たしかった。
男なんて嫌いだ。
まるで性欲処理のためにしかあたしの存在理由がないかのように振舞い、あたしを色事の好きそうな女だと貶める。
だからあたしは男になんか頼らない。あたしはあたしのキャリアのために生きると誓っているし、医者にもなろうと思った。
くすり、とあたしは笑いを漏らした。目の前の男の存在があまりにバカらしく思えたから。
男はその笑いの意味を誤解したのか、喜色を表した。

「残念だけど、私はそんな安い女じゃないの」

ばっさりと、笑顔で切り捨てる。
男は驚き、次の瞬間には怒りを表した。自分の思い通りに運べなければすぐに不快感を見せる。本当に勝手で、バカバカしい。

「お高くとまりやがって…そんなに出し惜しみするレベルかよ」
「なによ。断られたら逆ギレ?器の小さい男ね」
「…なに」
「話は終わり。あたし、無駄な時間を過ごすのは嫌いなの」


逆上した男は放っておいてさっさとこの場を去ってしまいたかった。「待て」とかなんとか言っているのが聞こえるけれど、怖くなどない。むしろ、やり返してやるわ。
あたしは自分の身を守れるんだから。だから、男が次に起こす行動を観察していた。なにか変なことをしたら、投げ飛ばしてやろう、と考えて。


「ひかる。こんなところにいたの?」


ぴりぴりとした雰囲気を一掃するような穏やかな声がした。
甘く優しい声が耳元に響き、後ろから抱きしめられた。「探したよ」と蜂蜜のように甘い声でまた、付け加えられる。
後ろにいる声の主が誰かなど、わかりすぎるくらいわかっていた。
その男は栗毛色の髪をしていて、天然のやわらかな髪質。背は高く、痩せすぎず太りすぎずで着痩せして見えるが、鍛え
られた体をしているだろう。
瞳には穏やかな色を浮かべ、整った鼻、唇、そして柔らかな笑み。甘い声と雰囲気を加えれば、女の子が夢見るような「王子様」の出来上がりだ。
それがあたしの幼なじみ――二ノ宮太壱だった。

「ひかる…会いたかった。ちょっとでも目を離すなんて堪えられないよ」
「そう?」
「うん」

女にしては背の高いあたしよりもさらに上背のある太壱は、ちゅ、とあたしの頭にキスをした。
まるで何もかも目の前の男に見せ付けるかのように。彼はあたしへと注いでいた甘い視線を改め、男に移した。
先程とは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべながら静かな怒りをたたえている。男は視線に捕まって身動きができなくなるのを感じたようだ。あたしには太壱の変化も、男の変化も手に取るようにわかった。

「こういうことだから。ひかるは諦めてくれる?」

やんわりとした言葉と口調だったが、有無を言わせない雰囲気があった。
男は言い返す言葉を探していたが、どうも見つからなかったようだ。
男はしばらくじっとしていたが、太壱の迫力に負けて舌打ちしながら去っていった。彼はその方向をじっと見つめていたかと思うと、ため息をついた。

「ああ、もう。まだひかるに言い寄る奴がいるなんて思いもしなかったなあ。ひかるは僕のものだってとっくに知られてるものだと思ってたのに。きっと、ひかるがきれいで可愛すぎるから諦め切れないやつらが出てくるんだよ。どうしよう、心配だ。心配すぎて胸が苦しいよ」
「……太壱」
「ん。なに?」
「その手をいい加減どけて」

後ろから抱き着いたのをいいことに、太壱の手がミニスカートから伸びるあたしの太腿へと妖しく動いていた。もう片方はウエストのあたりをべたべたと触っている。
いまだにいやらしことをしている一方で、太壱は女の子を虜にするような爽やかな笑顔を浮かべた。

「ムリ」
「ムリ?」
「だってひかる、こんなに気持ちいいのに。ねぇ、キスしてもいい?」
「……」

調子に乗りすぎだ、このバカ!
あたしの目が細まっていることに気付くことなく、太壱はべたべたとあたしの体を触りまくっている。
この顔に似合わず堂々とセクハラをする変態男をどうしてやろう。純粋な王子様顔した彼がこんな暴挙をしていることは誰も知らないにちがいない。
事実を暴露したとして、誰も信じまい。何故なら彼とセクハラという単語は真逆なほど似合わないから。
あたしは黒い笑みを浮かべながらすう、と息を吸った。

「太壱」

あたしの冷気を感じとって、ようやく太壱も悟ったらしい。遅すぎだし、やりすぎだ。太壱は名残惜しくそうに体を離し、距離をとった。
自由になったあたしは腰に手をあてて太壱を射殺すように見つめていた。さて……どうしてやろうか?
彼は秀麗な顔をみるみるうちに情けなく歪ませていった。まるで捨てられた子犬みたい。

「ごめん、ひかる!調子に乗りすぎたよね?……怒ってる?」
「怒ってるわよ」
「ごめんなさい!ひかる、僕のこと嫌いになった?お願いだから…嫌いにだけはならないで」

太壱は目を潤ませながら、あたしをひしと抱きしめた。今回はいやらしい感じはなく、優しい抱擁。あたしの方が背が低いためにそう見えるだけで、実際はすがりつくという言い方が正しいかもしれない。
二十歳を迎えた男が、全く情けない。あたしはため息をついた。

「…あんたはどうしようもなくバカでスケベで変態だけど、別に嫌いにはなってないわ」
「……ほんと?」

太壱の声が一気に明るくなる。顔を上げ、恐る恐るというようにあたしを見ていた。それはもう、期待と不安が混じった眼差しだった。
フォローしてやるだなんて、私も随分甘い。

「本当。まあ、あたしの許可もなくべたべたと触られるのはこの上なく不快だったけどね!」
「…ごめん」
「わかればいいのよ」
「…ひかるぅ…」

頬にすりすりと顔を寄せてくる様子は犬にしか見えなかった。やわらかな髪が顔にかかってくすぐったい。
そのままにさせていると、ぴたとあたしの顔の前で太壱の顔が止まり、あたしを見つめている。やたらと距離が近い。

「ね…キスしてもいい?」
「あんた、本当に反省したの?」
「したよ。でも、キスは許してくれるんでしょ?…ひかるにキスしたくてたまらないんだ」

ダメ?と甘く不安を込めた声色で太壱が問い掛ける。
これはあたしが蒔いた種。断ることはできない。

「…どうぞ」

承諾したと同時に唇を塞がれた。あたしを気遣うようにやさしいキス。
それだけで終わるはずだった。少なくともあたしはそれだけで終わらせるつもりだった。
長い口付けに苦しくなり、一旦離れたのがいけなかったのだ。呼吸をしようと口を少し開けたとき、太壱はそれを待っていたかのように舌を侵入させた。
我が物顔であたしの口の中を侵し、ざらついた舌の感触を感じた。めちゃくちゃに絡み合わせて、執拗にあたしを求めてくる。
あたしはここまでの、苦しくなるほどのキスは許してない。太壱もわかっているはずで、今までもあまりあることではなかった。ただ、そう……最近では回数が増えたくらい。
そして悔しいけれど、体の力が抜けて来た。太壱はなにもかも心得て、がっしりとした腕であたしの体を支えている。
限界までキスをして、やっと体が解放された。彼は憎らしいほど爽やかで晴れやかな笑顔だった。

「ごちそうさま、ひかる」

ちゅっと音をたててもう一度キスが降る。ああ、もうまったく悔しいったら!!
あたしが太壱相手にキスをされて抗えないこと。太壱が余裕たっぷりなこと。
すべてが忌ま忌ましい!

「気持ち良かった?」

と、太壱がにこにこと、うれしそうに問い掛けてきた時に怒りが頂点に達した。
見透かされたようで腹がたつったら!

「調子にのってんじゃないわよ、バカっ!!」

喜色いっぱいに、「王子様」面を思いきりいやらしくした太壱を、力いっぱいひっぱたたいた。
太壱の体が地に崩れ落ちる。まったく、いい気味だわ!













Copyright 2010 黒崎凛 All rights reserved.

inserted by FC2 system