恋綻頃

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  6話  

沙也は夢見心地だった。隣にはできたての彼氏がいる。あれから天野が沙也を家まで送ってくれるといったので、二人は電車を乗り継いで駅から歩いていた。沙也は彼氏ができたら一緒に登下校をするのがささやかな夢だった。その夢のひとつが今、叶っているのだ。
今でも片思いが実ったのが信じられないでいる。自分でさえ信じられないのだから、いつも沙也を馬鹿にしているあの義兄はどんな反応を示すだろう。
「凶暴な沙也さんに彼氏ができるなんてこと、一生ないような気がしますね」やら「この先もふられ続ける沙也さんを見るなんて、胸が痛みます」などといやみを言っていた静流。
――これであいつを一泡吹かせてやれる。僕が間違っていました、と跪かせてやりたいし、もうあいつのあの手の暴言から解放される!!どんな反応を返してくれるか見ものだわ!
上から目線で「彼氏」を紹介すれば、また何かしら突っかかってくるかもしれない。けれどそんなこと、沙也は気にならないだろう。からかわれたってただの静流の負け惜しみだと笑ってやれる。静流への反抗心もあって、彼女の喜びはひとしおだった。
沙也と天野は帰り道にいろいろな話をしていたが、彼女の家が近づいてきた。この楽しかった時間も終わってしまうことに落胆しながら、明日も会えるのだと彼女は気を取り直す。
最後に別れの挨拶をしようとしたとき、自宅から出てくる人物がいた。

「沙也さん。お帰りなさい」
「静流!」
「・・・隣の方はどちらさまでしょうか」
「あ、俺。天野慶介といいます。都築さんのお兄さんですか?」
「・・・ええ、一応。残念ながら」

ただ一言肯定するにも、静流は皮肉な物言いをする。なにか言い返してやりたいと思ったが、今はそんな雰囲気でもなかった。
静流は見定めるようにじっと天野を見ている。静流から漂う空気は少々険悪で、彼に何か失礼なことを言うのではないかとはらはらした。沙也はそれを打ち破るために天野を紹介しておこうと思った。それに、静流の鼻をあかすいいチャンスではないだろうか。

「し、静流!天野くんは私の彼氏なの!わざわざ送ってくれたのよ」

さあ、静流はなんと返すのか。天野が目の前にいるからといって、彼の毒舌は容赦がないはずだ。いつも誰がそばにいようと沙也へのからかいの手は緩めないのだから。
どうせ、「それは驚きですね。まさか17年間彼氏ができたことのない、ふられてばかりの沙也さんに彼氏ができるとは。奇跡としか言いようがありませんよ。けれど、この奇跡は一度きりでしょうからせいぜい楽しんでください」――とか言うに決まってる。
沙也は静流の攻撃に身構え、反撃の言葉を考えた。「あんたはいっつも私に一生彼氏ができないといっていたけど、間違っていたわね!」くらい言ってやりたい思いでいた。
だが静流はいつまで経っても何も言ってこなかった。いぶかしみながら彼を見上げると、にっこり微笑んでいる。

「そうでしたか。それでは兄として天野くんにお礼を言わないといけませんね。僕は今から出かけてきますので、失礼します」

それだけを言うと、静流は歩いてどこかに行ってしまった。沙也はどんな憎らしい言葉が出てくるのか身構えていただけに拍子抜けする思いだった。別に何か言ってくれることを期待していたわけでは決してないが、なんだか静流らしくない気がする。

「かっこいいお兄さんだね。あまり似てないけど」
「・・・まあね」
「俺もそろそろ帰るね。またメールするよ」
「うん、バイバイ」

天野とも別れの挨拶を交わして、沙也は家の中に入っていった。静流の今までにないほどのおとなしさが気にかかったが、今日の幸せな出来事を思い出すうちに忘れていった。

***

――天野くんは私の彼氏なの――
沙也がそう、爆弾発言をしてから確実に何かが変わっていた。
最近学校でも沙也と天野が二人でいるところをよく見かける。今現在もそうで、移動教室で化学室に行こうと静流が歩いていると、廊下で二人の姿を見た。何を話しているのかはわからないが、遠目で見てもずいぶん楽しげである。
天野が何かを言うと、沙也がうれしそうに笑う。静流の前では決して見せない笑顔だ。というよりも、彼の前で笑う沙也など、この義兄妹として過ごしてきた4年間でも数えるほどしかないだろう。彼の前ではいつも怒っているか顔をしかめているか、いずれかなのである。その原因は紛れもなく彼自身にあるのだが、あえて考えなかった。
たしかに彼女の怒った顔を見るのは楽しいし、反抗的な態度を快くも思っている。静流は彼女を喜ばせたこともないし、どうすればいいかすらわからなかった。沙也との関係は昔から変わったことがなく、喧嘩をして互いに言いたいことを言い合う関係でいいと思っていた。しかし、その関係すら変わりつつある。沙也が恋愛ごとに夢中でおとなしくなってしまえば、二人の関係はなんとも味気ない。

静流と沙也の距離が縮まり、あちらも彼に気がついたようだった。静流、と沙也が声をかけようかというとき、彼は不意に顔をそらして無視をした。沙也も静流が気づいていたことを知っていたし、わざと無視をしたのだとわかっただろう。今までは学校で会えば一言二言交わしていただけに、彼の態度をいらだたしく思われても仕方がなかった。
しかし今の静流に彼女と会話することは考えられなかった。自分でも理由付けすることなどできない。
静流は、最近の自分は常日頃の自分とは違うと自覚していた。心の奥底に別の人格のような激しさがあることにも動揺し、けれども決してそれに乗っ取られまいと心に決めていた。平生は何事にも無関心で焦燥感をおぼえたことのない男が、はじめてといっていいくらい人間らしい感情をもてあましているのである。

それもこれも、沙也のせいだ。あの、静流がいつもからかっている義妹のせいだと考えると余計に腹立たしく思える。
沙也の「彼氏ができた」発言を静流は受け止めかねていた。なぜなら沙也に限ってはありえないことだと思っていた。たとえどれほど沙也が親密に片思い相手とやり取りをしていようと、どうせふられるものだと決め付けていた。
静流は考えたことがなかった――沙也に彼氏ができるかもしれない、という現実を。おかしな話かもしれないが、沙也はずっとあのままだと思っていたから。沙也は片思いをし続け、静流はそれをねたにからかう。
変わらないままだと思っていたのだ。
だからあのとき、沙也からその事実を告げられたときうまく反応ができなかった。いつものようにいやみを言えばよかったのに、何も言葉が出てこなかった。微笑んでその場を離れるしかできずにいた。自分でも信じられないくらい戸惑っていたのだ。そして沙也に困惑させられたという事実に愕然とした。
沙也と天野の二人の姿を見て「付き合っている」ということを知ったとき、静流のなかで何か得体の知れない心の動きがあった。むかむかするような気持ちの悪さ。味わったことのない苦々しさ。
沙也さんに「彼氏」という存在など、生意気でしかないというのに。こんなにも不快だと思うのは、きっと僕の思惑から外れたせい。沙也さんは誰のものにもならず、誰かに片思いをしてふられ、僕に反抗してくる存在でさえあればよかったのです。
――自己中心で自己都合的な考え方だがそれが事実だった。





「・・・斎。沙也さんの彼氏についてよく知っていますよね?」
「天野のこと?おう、サッカー部の後輩だし」
「で、どうなんですか」
「どうって?」
「ですから、どんな男か聞いているのです」
「・・・はいっ!?」

斎は自分の耳を疑い、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。大概の人に無関心な男が、彼に天野に人物像について尋ねているのだから、これが驚かずにいられようか。
やはり沙也ちゃんの彼氏が気になるのかなあ・・・意外にかわいいやつ。斎は顔に笑みが浮かぶのを何とかしておさえ込もうとした。
いつも沙也に意地悪をいって「ブス」だの暴言を吐いているくせに、沙也に彼氏ができたという非常事態には気になって仕方がないらしい。静流は気がついているのだろうか・・・。今もなお浮かべている微笑が苛立っているということに。
指摘してやりたくなったが、彼は鋭い視線で「早く質問に答えろ」と訴えかけており、そろそろ答えてやらねばまずいと判断した。

「どうって・・・普通にいいやつだよ。顔もかっこいいし、さわやかで明るいやつだし、気が利いてやさしい」
「・・・沙也さんが好きそうな人ですね」
「そうだね。簡単に言えば静流と真逆だよ」
「・・・・・・」

静流は斎の何気ない一言に苦いものを飲み込んだ。斎の挙げた要素はまさに沙也の好みに合致しているし、見た限り外見でも彼女が好みそうであった。
沙也は、静流にないものばかりを好んでいる。昔からそうだった。だからなのか、彼女がほかの異性のように静流を見て一瞬でも見とれたことなど一度としてない。初めて対面した、互いに「義兄妹」として意識する前でさえ。
自分でもなぜ沙也の彼氏のことがこんなにも気になるのかはわからなかった。自身との比較がこんなにも気にかかり、苛立ちを覚える理由も。

「・・・本当に彼は沙也さんが好きなんでしょうか?」
「はあ?なに疑ってんの・・・」
「沙也さんの恋がこんなにも簡単にうまくいくわけありませんから、気になっていたんです。もしかしたら二股をかけられいることもありえるわけですし」
「でもあいつ、この前転入してきたばかりだよ?元カノともあっちで別れてきたらしいし」
「元カノですか・・・それはまた怪しいものですね」
「お前・・・何考えて・・・」
「いえ、別に?」

静流の笑顔が怖い、と斎は思ったが口には出さなかった。微笑みは変わらないが・・・いかんせん、その笑みが黒い。その後すぐに担任がやってきたのでこの話はうやむやになった。
静流は授業が始まってもろくに内容を聞いてなどいなかった。沙也と天野という彼氏はどうせすぐに別れるに決まっている。というか、別れればいい。
沙也さんが順風満帆に恋愛を楽しむなんて――生意気だ。
静流は自分の感情の揺れのすべてをその一言に集約すると、わずかに満足感を覚えた。



2010/9/27



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