恋綻頃

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  5話  

――最近の沙也さんは実に歯ごたえがありませんね。
そう、静流は思っていた。幸せボケをしているというか、いつもなら怒鳴り返す彼の嫌味にもスルーで、そんな彼女に静流は戸惑いすら覚えている。彼がその戸惑いを表に出すこともないから、周りから見れば普段通りに見えるかもしれないが・・・正直、おもしろくなかった。
沙也は何事にも言い返して反抗してくるから沙也らしくおもしろいのであって、今ではただの腑抜けだ。その原因は例の片思いのせいだろう。確かに今までにも恋をしたときの沙也が、思考がそこへ集中して静流との言い合いが減ったこともあった。しかし、今回はいささか長い。
いつもの沙也の調子で行くなら、すでにふられていてもいい頃合いだったために違和感を覚えるのかもしれない。今回はメールのやり取りもしているらしく、沙也は普段はあまり使わない携帯電話を肌身離さず持っていた。
今も、沙也は携帯を手にニコニコ顔だった。

「・・・・・・」

まだやっていたんですか、と風呂上りの静流は沙也につっこみたかったが、どうせ聞く耳を持っていないだろうと思い言うのをやめた。現在の時刻は午後10時。すでに両親は風呂に入って寝室へ行っており、リビングには沙也の姿だけであった。
どうせ最後にはふられるだけだろうに、なぜこんなにも楽しそうなのか彼には理解できない。こうやってメールをしていても、結局相手が別の女の子を選んで付き合いだしたり、友達扱いしかされなかったり、実はカノジョもちだったという事実が明らかになったりと・・・付き合いの長い静流はいろいろな失恋パターンを見てきた。だからこそ今回の沙也の片思いにも冷めた気持ちでいた。
だが一方の沙也は今までの失恋を忘れたかのように、楽しそうにしている。やたらと幸せそうな顔が憎たらしいほどだった。

「沙也さん。さっさとお風呂に入ってきたらどうですか」
「んー・・・」
「無駄に夜更かしはしないほうが身のためです。美容にも悪いですし・・・まあ、沙也さんは手遅れかもしれませんが」
「あーそうだねー。今から入ってくる」
「・・・・・・」

沙也の反応のなさはこんな調子なのである。彼女がこんな感じであるならば言い合いも減るしかまわないではないか、と思われるかもしれないが、それでは意味がないのである。沙也はおとなしく風呂場へと向かっていき、その後姿を眺めながら彼はため息をついた。自分の部屋に行く気にもまだなれず、大して面白くもないテレビ番組をつけた。
しばらくの間そのままでいると、沙也の携帯の着信音が鳴った。沙也の大好きなアイドルグループの歌が鳴り続けていることから、これは電話であるらしい。携帯を手にとって表示された名前を見ると「天野君」と書かれていた。
なるほど、これが現在の沙也さんの想い人であるわけですか・・・。いまだ顔を見たこともなく、名前も沙也の口から聞いたことがあったような気がするが覚えてはいなかった。この電話に出てやろうか、と一瞬考えたがすぐに別の案が浮かんだ。電話は留守番電話サービスにつながったのか、すでに切れている。
沙也が風呂に入りに行ってから30分は経っているから、今はもうあがっている頃合いだろう。そう予測をつけて、沙也の携帯を手にしながら風呂場へと向かっていった。

「沙也さん」
「なによー」

ドア一枚をはさんで彼女に声をかけた。さて、次の言葉を言ったら彼女は慌てふためくに違いない。

「天野くんから電話ですよ。僕が出ておきましょうか?」
「んなっ・・・!出たら許さないわよっ、バカああああ!!!」

次の瞬間にはもう沙也はドアを開け、静流から携帯をひったくっていた。
効果は絶大であったと静流は内心ほくそ笑む。これでこそ沙也であり、ちょっとくらい反抗してもらわなくては張り合いがなかった。沙也は携帯を握り締め、静流になにかおかしなことをされていないかを確認し、異変がないことを悟るとほっと一息ついた。ただ、メールを読まれたかは確認することはできないし、油断はできない。彼女はこれからは絶対に静流の前に携帯は置き忘れないようにしよう、と心に誓った。静流なら嫌がらせのために何かをしでかしてもおかしくはない。

「沙也さん」
「なによ、まだなにかあるの?」
「自分が今どういう格好をしているか、わかっていますか?」
「格好って、何が・・・・・・」

沙也はそこではたと思い当たった。いまさっき沙也は風呂を出たばかりで着替えの途中だった。下着を身に着けズボンもはいているが、上だけはブラのままだ。沙也はさっとしゃがみこんだ。

「うっ、きゃあああああ!!!み、み、見るんじゃないわよ!静流、早くどっか行ってよ!」
「バカですねえ。そんな貧相な体を見せられても欲情なんてしませんからご安心ください」
「なんですってええ!てゆーかそういう問題じゃないっ!!」

静流は言葉通りなんでもない、といった様子で意地悪な笑みを絶やしていない。沙也からしてみれば、欲情なんてして欲しいわけではないが、まったく恥ずかしがる様子もないのはそれはそれで腹立たしい。
一方の静流は沙也に宣言した通り、沙也が下着姿であってもなにも意識してはいなかった。彼女の怒りや羞恥からくる顔の赤さがひたすら愉快であるだけだ。
沙也は静流を睨み付けた後、くるりと背を向けて脱衣場に戻っていった。彼はその反応を見てくっとのどを鳴らして笑うと、満足したように自室に下がった。


***


むかむかする。沙也は久しぶりに怒りを感じていた。最近は静流と言い合いすることもなく、穏やかな気持ちでいることができたのに、すべてが台無しになってしまった。
その怒りを発散させるかのように沙也は部活動に打ち込んでいる。といっても今日は道場を使えないため、外で基礎体力作りをしていた。学校の外回りを全員でランニング中、沙也はサッカー部も同じくランニングしているのが目に入った。天野の姿を探してみるとすぐに見つかった。あちらも気づいたようで、笑みを浮かべてくれた。
・・・やっぱり癒されるなあ。ささやかな喜びをかみ締めながら沙也はこの片思いについて考えていた。今のところ、順調に行っていると思う。メールもしてるし、学校で会えば話すことができている。それにカノジョも作っていないようだし、すでに元カノとも縁が切れているといっていた。あとはいつどうやって告白するかだ。あまりこの友達期間は長くても仕方がない。当たって砕けろ!という心境だった。
ランニングを終え、今日はその後も屋外の練習が続いた。部活の終了時間となり、空手部をはじめほかの運動部も一斉に片付けをし、着替えに向かっている。沙也も同じ女子部員と更衣室に行く途中であった。そのとき、天野の姿を見つけた。声をかけようと思う前に、彼は歩み寄ってきて話しかけてくれた。どこか緊張感を漂わせている。

「都築さん、もう部活終わった?」
「天野くん!うん、今から着替えるところ」
「そっか、じゃあ着替えたら話したいんだけどいい?」
「うん」
「ありがとう、下駄箱で待ってるよ」
「わかった」

天野との会話はわずかな時間だった。沙也は彼の「話」が気になった。どうしたんだろう、なにがあるんだろう。改めて話がある、と強調されると否が応でも期待が高まる。もしかして・・・と想像ばかりが膨らむがそんな自分を戒めた。期待して、もしちがったら自分があとで落ち込むだけだ。期待は所詮偽り。思い通りに進むことなんてめったにないんだから・・・。
はやる気持ちを抑えながら、大急ぎで着替え終えた。下駄箱に行くと、彼はすでに待っていた。校舎内に残っている生徒はわずかのようで、周りに生徒の姿はなかった。静かな雰囲気が沙也の緊張を高める。彼は2,3なんでもないことを話してから黙りこくっていて、話を切り出すタイミングを見計らっているようだった。
――沙也はもしかして彼も自分を好いてくれていて、告白してくれるのではないかと期待していた。けれども片思いが実ったことはないし、失恋が続いている沙也にとって信じがたくもあった。だからこの緊張感漂う空気であっても、何も重大な話ではないのだと思い込もうとした。そして、ついに彼が口を開く。

「都築さん」
「・・・なに?」
「突然ごめんね。部活後にわざわざ呼び出しちゃって」
「ううん、全然!大丈夫だよ」
「・・・ありがとう。俺さ、本当に転入したてのときに都築さんに会えて良かったって思ってるんだよ。知り合いなんていないし、緊張もしてたからいろいろ話してくれてマジでうれしかった」
「ううん、私だって天野くんと仲良くなれてよかったって思ってるの!」

沙也が勢いよく肯定すると、彼ははにかむように笑った。

「あのさ・・・都築さん、俺と付き合わない?」
「・・・えっ・・・」
「都築さんと話してると楽しいんだ。だから・・・だめ、かな?」

そう言われたのは初めてだった。初めて沙也の片思いが実った瞬間。これは本当に現実なのか、それともあまりに期待しすぎて現れた自分の妄想なのか、一瞬わからなくなった。口がからからに渇いてなかなか言葉が出てこない。彼は沙也の返事を待っている。
――初めての彼氏。ふわふわとした宙に浮いたような気持ちだった。
沙也の返事は迷いようがなく――

「はい」

沙也は顔をほころばせて、深く考えずに天野に返事をした。
そして、この出来事が思いがけない事態を招いていくことを、沙也は考えてすらいなかった。



2010/9/23

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