恋綻頃

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  2−1話  

しゃっとカーテンを開ける音がしたのを沙也はまどろみのなか聞いた。すぐに朝の太陽のまぶしさを感じたが、まぶたは重く目覚めたいと思えない。朝がきて起きるべき時間だと思いはしたものの、沙也は部屋の明るさを無視しようとした。

「・・・沙也さん、沙也さん」

誰かの声がする。はっきりしない頭で沙也はその「声」を認識していた。

「沙也さん、起きてください」

その「声」は沙也を起こそうとしているらしい。まだ寝たいのに・・・。覚醒しきっていない沙也の思考はまだまだ睡眠を要求し、反応することを拒絶する。すると、その「声」は大きなため息をつき、次の瞬間には、ぎし・・・とベッドがきしんだ音がした。そしてものすごく近くまで人の気配をかんじる。

「沙也さん。いい加減に起きないと襲いますよ?」

思いがけないほど近かったその声と「襲う」という宣言に、彼女の思考回路は一気に目覚め、布団の中から飛び起きた。軽くパニックに陥っていると、目の前には楽しそうに微笑む義兄の姿。どうやらあの「声」はこの男のものだったらしい。
な、何で静流がここに!?沙也はやっとその疑問点にまでたどり着くと、彼をにらみつけた。

「ちょっと!勝手に年頃の女の子の部屋に入ってこないでよ!!」
「年頃の女の子ねえ・・・。いいじゃないですか、沙也さんはそんな色気のある年頃の娘さんじゃないんですから」
「んなっ・・・!失礼ねっ!!」
「それよりも早く起きてください。学校に遅れますよ」

静流は笑みとともに毒のこもった台詞を吐き出すと、淡々と沙也を急かした。そしてもう一度「早く降りてきてくださいね」と付け加えて、階下に降りていってしまった。彼女はこの朝の出来事に早くも疲れ、ため息をついた。

沙也は静流が降りてからしばらくして、むっすりとした表情のまま食卓に着いた。目の前には静流、そして母と義父も一緒にテーブルを囲んで朝食を食べている。彼女は両親に挨拶だけして、一言もしゃべらず沙也は箸を動かす。

「沙也さん、その不機嫌そうな顔を何とかしてください。見苦しい」
「だ、れ、のせいよ、だれの!!てゆーか、お母さんもなんで静流を私の部屋にいれちゃうわけ!?信じらんない!!」
「なによ、いいじゃない。あんた全然起きてこないんだから。静流くんに感謝したらどう?よかったわねー、こんなしっかりしたお義兄さんがいて」
「いえ、かわいい義妹のためなら当然ですよ」
「まあっ!やさしいわねー、静流くんは」
「・・・・・・」

おほほほ、と母親が笑っているのを沙也は黙って聞いていた。昔から母は静流が大のお気に入りだ。沙也と同じで母もイケメンにはとても弱い。特に静流のような綺麗に整った、端正な顔立ちが好きらしい。好みのタイプは真逆なので、芸能人で誰がかっこいいという議論を交わしても結論がついたことは一度もない。
隣ではこのやり取りを見て義父が苦笑していた。静流の実の父親であるけれども、顔はあまり似ていない。似ていないが、歳の割りに若々しさを残していてかっこいいし、また人のよさそうな笑みをする。性格も穏やかなので、沙也にとっての癒しはこの義父だった。
義父は沙也と目が合うと、にこにこしていた。

「やっぱり沙也と静流は喧嘩するほど仲がいいって感じだなあ。一時はものすごく険悪だったから、今のこの時間がうれしいよ。いつの間にか仲直りしたんだね?」
「・・・仲直り・・・っていうか・・・」
「はい、その件はもうすっかり」

それはもう一週間以上は前のことだ。仲直り、といっていいのか沙也にはよくわからず口ごもったのだが、静流は気にせずはっきり肯定した。

「あのときは私たち、すごく心配してたのよー。ふたりとも一言もしゃべろうとしないんだもの。あんな空気初めてだったわよねー」
「そうだな、いつも仲良く言い争ってるのに互いに無視してたからねえ・・・」
「・・・心配かけたようで。でももう大丈夫ですから。ねえ、沙也さん」

静流に同意を求められて沙也はあいまいに微笑んだ。
・・・はたから見ればあの言い合いも仲良く見えるわけね・・・。沙也は両親の「いつも仲がよかった」という感想に抵抗感を覚えたが、否定するのも面倒だったので言い返したい気持ちをぐっと抑えた。
沙也は口を動かしながらぼうっと考える。あれから以前と同じ、なんら変わり映えのしないような日常の光景がそこにはあった。こうして家族と過ごしていると何も変わっていないように思う。
――けれど。

「ごちそうさまでした」

静流が食べ終え、席を立つ。両親たちもすでに食べ終えているので、まだテーブルについているのは沙
也だけだ。あわただしく両親が会社に行く準備を整えようとしているなか、静流がじっと沙也を見つめてきて、彼女はわずかに身構えた。

「・・・何よ、静流」
「早く学校に行く準備をしてくださいね。もしできないようだったら、着替えのお手伝いでもしてあげますから」
「なっ!そんな世話いらないわよっ!!」
「そうですか、それは残念」

静流はふっと口元を上げると、食器をさげに彼女から離れていった。ふうっと沙也は緊張を解いて、最後の一口を押し込んだ。
そう、問題はこれからなのだ。静流とふたりきりの登校の時間が最近、前とは別の意味で悩みの種となっていた。


***



沙也は再び静流と一緒の登校を、強制的にさせられていた。彼女は少し前を歩く静流の後姿をみながら、また何度目かのため息がこぼす。
天野との関係が終わり――そして衝撃的な静流の告白を受けてから、すでにそれなりの日数は経っていた。静流との関係が大きく変わったかといえばそうではなく、沙也が戸惑うほど静流の態度は今までどおりで普通であった。彼女としては静流にたいして身構えていただけに、少しだけ拍子抜けする思いなのだ。まあ・・・突然豹変されても沙也は戸惑ってしまうだろうし、どこか警戒してしまうにちがいない。だから沙也としては安堵してもいた。
しかしあまりに普通すぎて、あの告白は本当だったのだろうかと疑いを抱いてしまうのも事実だった。静流のことだし、彼が自分に恋をしているなんてどうも信じがたい。今日だって彼の思いを信じるならば、「好きな相手」である沙也への暴言といやみの数々は絶好調だった。…普通、好きな子にあんなこという?
そして、沙也はあることを思い出した。そういえば、静流はカノジョのことはどうしたんだろう。学校で二人が別れたのでは、と囁かれていたが沙也には事実がわからない。それに別れたとしてもすぐに告白されて、またカノジョを作っているかもしれない・・・。


「静流」
「なんですか?」
「・・・カノジョさんと別れたって本当?」

沙也の問いに、彼は後ろを振り返るとものすごく不機嫌そうな顔をしていた。いや、微笑んでいることは確かなのだが、紛れもなく作られた笑みだ。

「・・・・・・いまさら聞きますか。なるほど、沙也さんの関心の低さがよくわかるタイミングですね」
「な・・・によっ!わ、悪い!?いいから答えてよっ」
「ずいぶん前に別れましたよ」
「え、じゃあ今はカノジョ作る気ないの?」

沙也は自分の言動をよく考えずになにげなく言った。たぶん、今までの静流の行動パターンが記憶にこびりついてしまっているため、つい口に出してしまったのだろう。だからこそ失言だと気づいてもいない。
一方の静流は、たまったものではない。あれだけの告白をした相手に「カノジョを作る気はないの?」とはどういういことか。どうやら沙也はいまだ彼の思いをよくわかっていないらしい。本気で疑問に思い、今もなお自分の一言の重大さに気づいていない様子を見て、静流は頭が痛くなった。
たしかに静流の今までの行いが悪かったせいで、自分の首を絞める結果となっていることはわかる。だがそれにしても、かわいさあまって憎さ百倍というか、ふつふつと怒りがこみ上げてくるのだ。

「・・・あなたというひとは・・・っ!ほんっとうにバカでにぶくて腹立たしい人ですね!だからあなたは女性としてもまだまだで、幼くてガキなんですよっ!!体のほうはまあ、見ての通りですが・・・内面くらい少しは成長を見せたらどうですか!?」
「あんたっ、あたしのことが好きだとか抜かしたくせに、そういうこと言う!?」

女としてまだまだだとか、幼いとかガキだとか!さりげなく私の胸がなくて官能的な魅力がないことを暗に指摘するなんて、ほんっとにいやみは超一流だわ!!
沙也は静流のいやみに憤然として、やっぱり彼が自分を好きだというのは嘘だったんじゃないかという気持ちを強くする。・・・あれもただ、からかってただけなんじゃないの?静流ならありえる。
彼は腕を組んでふんっと鼻を鳴らした。

「好きだとか関係なく言いたいことは言わせていただきます。真実だから言ったまででしょう」
「そんなの知らない!静流が私のこと好きなんてやっぱり嘘なんじゃないの?そうよ!だってあれからずっと何事もないように過ごしてて、たいそうな宣言した割りに全然――」
「・・・せっかく時間をあげようと思っていたのに・・・」
「え?」
「沙也さんにはその親切心もまったく気づかれていなかったということですね。本当に残念です」
「え、え、ええ!?」

ぴりぴりとした空気に染まった静流に沙也は気がついて、風向きが変わったことにたじろいだ。今、二人は駅のホームにいる。周りに通学・通勤のひとたちがいるなか、彼女は壁際まで追い詰められた。黒い笑みを浮かべて彼は距離を近づけてくる。

「あなたがそういうのなら、もう容赦はしません」
 
次の瞬間には静流の唇にふさがれていた。抵抗しようにも手は彼に掴まれているし、突然のことというのもあって受け入れるしかない。実際は数秒間であっただろうが、沙也には長い時間のように感じられた。唇が離れると、沙也は顔を赤くしながら静流を見上げることしかできず、彼はにやりと意地悪い笑みを浮かべていていた。
沙也は彼がやたらと余裕たっぷりなのが腹立たしく、またしても無断でキスをされたことに憤りを感じた。

「なにするのよっ!」
「何って、理由が聞きたいんですか?したいことをしただけですが」
「・・・したいことって・・・」
「せっかく、僕が沙也さんが戸惑うのがわかっていたから考える時間をあげたのに、あなたはまったくわかっていなかった。だからこれからは、僕の好きなようにしてもかまわないでしょう?」
「え・・・・・・」

静流は私にそんな事を考えて、気遣ってくれていたんだ・・・。その事実を知り、気づかなかったことにわずかに罪悪感を抱く。
そしてあれだけ沙也に普段どおりのいやみを言っておいて。突然キスをするなんて卑怯だとも思った。そういうことに慣れていない彼女にとって、通常時と非常時の触れ幅が大きすぎてついていけないのだ。
前の関係と変わっていないようで、確実に変わっている。これからどうなっていくのか、沙也にはまったく予想もつかなかった。






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