恋綻頃

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  13話  

午後からあった土曜日の部活が終わり、沙也は後輩たちと一緒に家に帰るところだった。校門のあたりまで来たとき、彼女は忘れ物に気がついた。そういえば金曜日に課題を出されたのに、必要な教科書を持って帰るのを忘れたのだ。今日とりに戻らねば、月曜提出の課題を出すことができない。沙也はひとり校舎のほうへ戻るため、後輩たちに別れを告げた。
沙也は自分のクラスに行き、ロッカーから教科書を取り出してかばんにしまった。これでやっと帰ることができる、と安心して昇降口に向かおうとした。校舎内にはほとんど人がいない。だがそこで、なぜだか彼女は静流と出くわした。
静流の突然の登場に、彼女は思わずぎょっとしてしまう。家でもほとんど会話をしていないから、こうやって出会ってしまったことに不意打ちを感じ、怯みもした。このまま無視するわけにもいかず、彼女は足を止める。

「・・・なんで静流が学校にいるの?」
「補習があったものですから。それと、図書室に用があったのでこんな時間になりました」
「・・・ふうん」

なるほど、3年生は受験勉強もあるから土曜日にも補習が組まれているのだった。沙也はそれに静流が参加していたというのも知らなかった。会話が終了してしまい、二人は昇降口に向かって靴に履き替える。ここで別れるにしても目指すべき家は同じところなので、まったく意味がない。出会ってしまったからには一緒に帰るしかなさそうだった。
沙也は静流と何を話せばいいのだろうと思い悩んだ。あれから気まずくてどうしたらいいかわからない。今まで静流が突っかかってきたけれど、今はそれがないのだからなおさらだった。静流の方も何も話さない。彼とこうした沈黙が続くことになるとは、今まで考えもしなかった。
ぐるぐると沙也が考え込んでいると、静流が突然足を止めた。自然、後ろを歩いていた沙也は自然と彼にぶつかる。

「いたっ、ちょっと何で突然止まるのよ」
「・・・天野くんの声がしませんか?」
「え?」

静流に言われて耳を澄ましてみれば、確かに彼の声がした。そしてもうひとつ、女の子の興奮したような高い声も。会話の内容まではここからは聞き取れない。立ち聞きはよくないことだと思いながらも、その内容が気になって仕方がなかった。静流は迷いのない足取りで声のするほうへ近づいていく。戸惑いながらも沙也も結局好奇心を抑えきれず、ばれないような距離感を保ちながら近づいた。
声の聞こえるところまで近づけば、やはりそこに天野はいた。そして彼の横には、見たことのない女の子がいて、ただならぬ空気を漂わせている。
沙也と静流は思わず息を止め、この光景に見入っていた。


「ここまできて・・・なにがしたいんだよ・・・?」
「だから、前も言ったでしょ。私たちはよりを戻すべきだって!」
「・・・優香が俺をふったんだろ?遠距離なんて続けられない、って。それなら別れたいって!簡単に別れることができる、その程度の気持ちだったんだろ!?それなのにいまさらどうして・・・」
「しょうがないじゃない、あの時は大丈夫だと思ったんだもん!だけど、だけど慶介と別れて、やっぱり慶介じゃないとだめだったの!ほかの人と付き合ってみたけど、だめだったんだもん!!」
「優香・・・」
「ねえ、慶介はもう私のこと嫌いになった?どうでもいいの?」
「・・・っ。そんなわけないだろ?俺だってずっと忘れられなかった――!」

・・・”ずっと忘れられなかった”。
その天野の言葉に、沙也は腑に落ちたような気がした。沙也と彼の微妙な関係も、これで納得できる。彼女自身が彼との先を望んでいなかったように、彼も踏みとどまる理由があったのだ。
あの女の子は、別れてきた元カノに違いない。声の調子から彼女は感情が高ぶって、涙ぐんでいるのだろう。それだけ本気で、今日は隣の県から彼を追いかけてきたのだ。その強い想いを打ち明けられた天野は、大きく揺さぶられていて苦しげに見えた。なんとなく最近の様子から予感してはいたけれど、彼も彼女を忘れることがまだできていなかった。嫌いで別れたわけではなかったのなら、なおさらだ。
きっと、私と天野くんはお互いに無理をしてた。私は「彼氏」と「理想」という目先のことばかりにとらわれていて、彼は自分の中の気持ちを無視していた。

「・・・沙也さん」

隣の静流から声がかかる。結局、静流の言ったとおり。ほら見ろ、とでも思っているのだろうか?しかし今の沙也には応戦する気力はなかった。

「お説教は後にしてね。ちゃんとわかってるんだから」
「・・・・・・そうですか。それでは――けりをつけにいきましょう」
「えっ・・・!ちょ、静流!?」

沙也は静流に手をつかまれ、ぐいぐいと引っ張られるがままに天野たちの元へと連れて行かれた。あちらも沙也たちに気がついたようで、天野は特に驚いている。この登場の様子からして、沙也と静流が話を聞いていたことに気がついたに違いない。静流は天野が口を開く前に、いつもの笑顔ながら厳しい口調で言った。

「だから言ったでしょう?嘘はよくありませんよ、と」

静流の言葉に、天野は居心地が悪そうに目を伏せていた。彼らがいつそんな話をしていたのか沙也にはわからなかったが、二人の間では話が通じ合っているらしい。元カノである優香は突然の乱入者にどういうことか理解できずいたようだったが、沙也に目を留めるときっと彼女を見据えてきた。

「ねえ・・・あの子が前話してた今のカノジョってことでしょ?だからためらってるんでしょ?」
「ちょっ・・・優香?」
「私だって同じことしてたから慶介のことは責められない!だけど・・・だけど・・・」

優香は沙也の元まで歩み寄ってきて、彼女を涙ぐんだ瞳で見つめてきた。けれどもその力強さに気圧されずにはいられなかった。

「お願い・・・虫のいい話だとわかってるけど別れてほしいの。私・・・私は慶介のことが好きなの。どうしても好きだって気づいたの!私はあなたより彼のことが好きな自信がある!だから、別れて!お願いします!」
「優香・・・っなにしてるんだよ」
「だって、私にはこうするしかないじゃない!」

沙也は彼女の一句一語をかみ締めながら、実感する。彼女は本気で天野君のことが好きなんだ。がむしゃらにプライドを捨てて、こうやって私に頼みにくるくらい。言い返すことができればいいのかもしれない。私だってあなたに負けないくらい彼のことが好きだから――と。
だけどどうしてもできなかった。返す言葉が見つからない。――それこそが、私の答えなんだろう。薄々わかってはいたけれど、認めていなかった答えだ。
沙也は前にいる優香と、天野に向けて微笑んだ。

「天野くん、もう・・・終わりにしよっか。今日のことがあったから・・・ってわけじゃないよ。私自身もこのまま付き合い続けてるのはよくないって思ったの。だからお互い様だと思うんだ」

静流に指摘されてから考えていた。だけどここまでずるずると来てしまったのは、沙也自身の静流への反抗心があったから。悔しかった。認めたくなどなかった。
天野は沙也の言葉に反論することもせず、少し考えた後受け入れるようにうなずく。彼にしてみれば、うなずく以外になかっただろう。

「ごめん・・・でも俺、都築さんをいい子だなって思ったのは本当だよ。話してて楽しかったし、付き合ったら忘れられると思った。だけど結局・・・ごめん。俺・・・」
「謝らないで、私にも問題があったの。だから気にすることなんてないよ」
「・・・都築さん」
「あ、私たちはもう帰るね!立ち聞きしちゃってごめんね!」
「そうですね。僕たちはこれで失礼します」
「ばいばい」

最後に笑って気軽に別れを告げる。重苦しい雰囲気でいることに耐えられなかったし、彼に気負わせることもさせたくなかった。背を向けて歩き出すと、もう振り返ることはしなかった。天野くんとカノジョさんがこれでうまくいってくれるといいなあ、と祝福する思いすらしている。
そして再び静流に手をひかれているのがわかった。つながれた手から伝わるぬくもりに、沙也は不思議な気分になる。まさか静流に安心感を覚える日が来るなんて思いもしなかったから、なんだかおかしくて少し笑ってしまった。



***


沙也と静流は家の近くの小さな公園にいた。ブランコに腰掛けて、沙也は何とはなしにブランコを小さくこいでいる。二人の間には会話はなかった。小言でも言ってくるかと思われた静流だが、気遣うような空気に沙也は意外だと思った。

「私ね、あれからいろいろ考えてたの。静流に言われたこととか・・・自分のこと」

沙也は静かに話し始めた。なんとなく人に話を聞いてもらいたい気分だったのだ。たとえそれがいつもは腹立たしい義兄であっても、今日の彼ならばおとなしく聴いてくれると思ったから。

「私、いつも誰かに一目ぼれしてた。あの人がかっこいいって思って、恋をしてるときがすごく楽しかった。彼氏がほしいと思ってたのは本当だけど、具体的にどうするかは静流の言う通り・・・考えてなかったんだよね。・・・それに今日、天野くんとカノジョさん見て実感しちゃったの。これが本気で人を好きになるってことなんだなあって。私はわかれてからも彼を想ったり、追いかけてでも想いをぶつけるなんてできない。それくらい強く人を想ったことがないんだってわかった。結局、私はうわべばかりの恋を楽しんでた」

沙也は大きくブランコをこぐと、勢いをつけて地面に着地した。

「・・・ほら僕の言う通りだったでしょうって・・・笑う?」

沙也はブランコに腰掛けたままの静流を振り返って、問うた。今回だけは静流のいやみくらい甘んじて受け入れてやろう、と思いながら。静流はブランコから降りて、彼女のほうにゆっくりと近づいてきた。その顔には今から沙也をからかってやろうという意思は感じられず、真剣そのものだ。一定の距離をあけて静流が目の前に立つと、彼女に視線を合わせる。

「――いいえ。・・・笑いませんよ、絶対に」

静流の否定の言葉と珍しい労わりのこもった表情や声音に、沙也は涙腺を刺激された。いつもいやみたらしい男から突然やさしいともいえる態度をとられては、戸惑うに決まっている。この返答を予想していなかった沙也は、少々気恥ずかしさを感じながら彼に背を向けた。それに、泣きそうになっていることを悟られたくはなかった。
調子が狂う。こんなからかいもせずおとなしい静流は初めてかもしれない。しかも、沙也をからかうネタはふんだんにあるにもかかわらず、だ。



「・・・私、恋がしたいなあ」

頭の中でふと思ったことを知らないうちに口に出していた。唐突な言葉に沙也自身驚きながらも、これは本音以外の何ものでもないと思った。
いつも私がしていたような、お手軽な恋ではなくて・・・相手のことを誰にも取られたくないと思い、彼のことを思うとうれしくなることはもちろん、苦しくなったり切なくなったり、彼にすべてをあげてもいいと思えるような・・・そんな恋がしたい。

「私にもできるかな・・・」

静流の答えは特に期待していなかった。独り言のようにポツリと口から漏れてしまった言葉だった。
――沙也はそのとき、後ろから感じるぬくもりに気がついた。
これは・・・静流に抱きしめられているの?
しかも乱暴ではなく、やさしい抱擁。静流に後ろから抱きしめられることなんて、一度だってなかった。いったいどうしたのだろうと疑問ばかりが渦巻く。耳元に静流の呼吸が聞こえる。その近さに沙也は不覚にもどきどきしてしまった。

「――それならば、僕とすればいい」
「え?」

ふいに沙也を抱く腕の力が強められたのを感じた。かすれたような低い声が耳に響き、驚いて視線を後ろにやればじっとみつめる静流の瞳とかち合う。その視線の強さに、沙也は今までにないものを感じた。
そして静流の言葉の意味がわからない。どういうことなのか沙也が疑問を口に出すよりも先に、静流が続けた。

「・・・好きです」

沙也は聞き間違いかと思った。この言葉の意味はなんだったのか、一瞬わからなくなったほど。

「僕は沙也さんが・・・好きなんですよ」


















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