恋綻頃

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  12話  

――義理の妹さんが好きなわけ?――
加奈子の問いを、静流はゆっくりと咀嚼していた。

「・・・僕が」

考えたことなどなかった。その単語が頭に思い浮かんだことさえ、一度だってない。

「沙也さんを・・・・・・」

よりによって静流がいつもからかい、反抗的な態度を見て楽しんでいた、血はつながってないとはいえ仮にも妹相手に。

「――好き?」

まさか。ありえない――。すぐさま思い浮かんだのは否定の言葉だった。どうやったらそんなことが思いつくのだろう、とさえ思った。いままで義兄妹としての4年間、意識して考えたことだってない。だから静流は加奈子の問いを一笑に付してやろうと思った。バカなことは言わないでください、と。

「そんな、ありえませんよ。今僕は、沙也さんに苛立って仕方がなくて――」

――そう、僕は沙也さんに苛立ちを覚えている。
それはなぜだっただろう?僕はなぜこんなにもイライラして苦しんでいるのだろう?
その答えは簡単だった。沙也さんが生意気にも彼氏を作ったから。無知で男のことなど知らないくせに、すべてを彼にささげようとしているから。その無防備さが腹立たしかったから。沙也さんは彼氏など作らず、ずっとあのままでいればよかった。彼女の恋などずっと、実らなければよかった。誰のものにもならなければよかった。
それはなぜだろう?なぜこんなことを願っているのか?なぜ、嫌悪しているのか?
決まっている。沙也さんが楽しそうに男のことを話す表情が嫌いだ。僕の前では怒ってばかりのくせに、笑顔を見せて頬を赤らめるのが嫌いだ。いつも、いつもそうだ。昔から、沙也さんは

――僕以外の誰かを、常に見つめているから――


「・・・・・・・・・っ」

自分の中の問いのたどり着いた答えに静流は動揺した。僕は心の中で本当はこんなことを考えていたというのか?
静流はその答えにただ呆然として何を言うこともできず、ただ黙り込んでいることしかできなかった。加奈子は何も言わない静流を見て、自分の予感が当たっていたことを認識しながら目を伏せる。

「・・・否定はしないのね」
「・・・・・・わかりません」

わからない。わからないのに加奈子のときのようにすぐさま否定できない自分がいる。それがまた信じられなかった。
恋などしたことがなかった。するはずもないと思っていた。だからこそ加奈子の問いは静流に動揺を与えたのだ。彼はふらふらとドアまでたどり着き、部屋を出て行こうとした。冷静になるために、一人で考えていたかった。

「・・・静流」
「・・・なんでしょう?」
「私、あなたがそんなに動揺するところ初めて見たわ。ちょっといい気味」
「・・・・・・」

加奈子はふんっと鼻を鳴らして腕を組んだ。小さな彼女の復讐はどうやら成功したらしく、彼は明確な反論をしてこない。その様子を見て言葉通りしてやったりという気分もあるし、わずかに胸が痛む部分もある。
けれども彼女はこれでよかったのだと思うことにした。気づかないふりをして付き合い続けても、何も得るものはない。そもそも彼ははじめから紳士的な態度をとっても、決して心の奥を見せなかった。今みたいに感情を揺さぶることはできなかった。
だから、せめてものプライドを保つためにも、彼女から言い渡す必要がある。

「さよなら、静流」




***



静流は加奈子の家を出てから自宅に帰ることもできず、人気のない公園にいた。家に帰っても今のままでは沙也に会うことができるはずもない。静流は記憶をさかのぼって、沙也に出会って間もないころのことを思い出していた。
――今思えば、沙也さんが僕に目を向けたことなど一度だってない。
あるとき・・・沙也が中学1年生、静流が中学2年生のとき彼女が家に友人を連れてきたことがあった。

「沙也ぁ!やっぱりかっこいいよねー、静流先輩って!」
「ほんとだよね!静流先輩と義兄妹なんてうらやましすぎるんだけど!!」

偶然彼女たちの会話を聞いたことがあった。沙也たちはリビングにいたため、廊下からよく声が聞こえたのだ。沙也はどう答えるのだろうと思えば、実にそっけないほどの答えだった。

「えー?静流ってそんなにかっこいいかなぁ。私は山本くんのほうが好きだけどなあ・・・」

沙也はそう、あっさりと言い捨てたのだ。一際目を引く容姿のおかげで、人に興味をもたれることが多かった静流にとって彼女の言い草は新鮮であり、意外だった。そういえば彼女が彼の容貌を褒めそやしたことは一度もない、と静流は思った。
彼女の返答は友人たちにも意外だったらしく、大きな声が上がった。

「それ本気?山本って・・・たしかにほかよりは多少かっこいいかもしれないけどさ、静流先輩と比べたら・・・全然じゃん」
「だって山本くんはやさしくて、明るくて気さくで素敵じゃない!」

それから沙也はいかに山本が魅力的なのか語りだしていて、その表情は華やかで楽しげだった。静流の前ではしたことのない顔を、彼はそのときはじめて見たのだった。
それからいつだって同じだった。誰かに恋をしたかと思えばすぐにふられ、再び新たな恋を見つけている。そのたびに・・・静流には決して見せない表情で笑い、相手について話し、普段とは違う女の子らしい一面を見せる。彼女の視線はいつだって誰かを追っている。彼に興味を抱くわけでもなく無関心といってよかった。
だから、なのかもしれない――僕が沙也さんをからかいたくなるのは。僕のことをどんな形でもいいから少しでも意識して欲しくて、わざと怒らせたくなるのかもしれない。

――いつも誰かを見ているあなたを僕のほうへ目を向けさせたかったから。
怒った表情でもかまわない。あなたが見てくれるなら、あなたがほかに少しでも目を向けないのなら。僕の言葉に彼女の反応が返ってくるのがうれしくて、つい突っかかる物言いをしてしまう。なんて屈折した表現だろう。
自分でも知らないうちに彼女に僕を見て欲しいという気持ちが大きくなっていたのだろうか。はじめは周りとは異質な彼女の存在が、気になっただけかもしれない。けれども彼女と過ごすうち、彼女と言い合っているうちに、他人に無関心な僕の中で彼女の存在は大きくなっていった。
それでも静流は、この感情に名前をつけることもできず過ごしてきた。彼にとって無縁なものだと思っていたし、沙也との関係も変わることがなかったから。しかし沙也に彼氏ができた、と知ってからというもの自分が自分でいられなくなっている。こんなにも苛立ちを覚えたことも、焦燥感を覚えたこともない。感情に流されることなく今まで過ごしてきた静流には気持ち悪くて仕方がなかった。
このままでは沙也を奪われてしまうのだと危機感を抱いて、彼女を誰のものにもさせたくない気持ちが強くなって・・・らしくないことばかりした。

その理由はきっと。とても簡単なことなんだろう。認めたくなんか、ない。なぜ僕が、という思いも強くある。彼女に負けたようで悔しいじゃないか。
静流はすくっとベンチから立ち上がると、家路へと歩き出した。もうこれ以上考えることが煩わしくなったこともあり、時間的にもそろそろ帰らなくてはならない。
数分歩いて家の近くまでくると、二つの姿が見えた。それは紛れもなく先ほどまで静流の頭を占めていた人物で、一緒に帰ってきたところなのだろう。家の前で話す二人を見て、またざわざわと心が騒ぐ。同じ家に住んでいるとはいっても、互いに避けていることもありほとんど顔を合わせていなかった。もちろん話もまともにしていない。
それなのに、彼とはいまだ関係を続けているというのか。怒りがぐっと湧き上がってくる。そして――沙也を見て静流は自分の気持ちを認めるざるを得ないと思った。彼女を見ていらだたしく思う。同時に自分を見て欲しいと思う。ほかの誰かに向けるように、笑ってくれないだろうか・・・僕のためだけに。
壁にもたれかかり、くくくと笑いが漏れた。自嘲せずにはいられない。
まったく僕は、何を考えているのだろう。このざまではもう、弁解の余地はないじゃないか。
認めるのはとても悔しいけれど。しかもその相手が、鈍感で短気で単純な、僕のことをなんとも思っていない義妹だとは、皮肉なものだ。

「・・・降参しますよ、沙也さん」


きっと僕は、あなたが好きなのでしょう。

そう認めたとき、心が少し軽くなった気がした。









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