恋綻頃

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  10話  

――自分がなぜこんなことをしているか、なぜこんなにも焦燥感に駆られ怒りを覚えているかなど分かりはしない。沙也が天野を連れて逃げ出し、二人きりになったところで何かがあってもおかしくないと思った。仮にも、二人は付き合っているという。だが沙也は無防備で男女のことなど何もわかってはいない。
天野が沙也に触れると考えることですら許せないと思った。その想像を一瞬でもしてしまってはいてもたってもいられず、彼女たちが行きそうなところを手当たり次第探した。そしてやっと見つけたかと思えば――沙也が天野を組み敷いている格好だった。その瞬間、彼女をここから連れ出すことしか頭になく、天野から引き離すことしか考えられなかったのだ。
今、沙也は静流の目の前にいる。彼の行動に苛立って、その理由を問うている。強気なのはいいことだが、今回の彼女は何もわかっていない。静流が一歩近づくと、珍しく彼女は後ずさって彼を見上げていた。多少のおびえが見て取れることに満足感を覚えたが、苛立ちは消えない。

「沙也さん。もう少しあなたは危機感というものを持ったらどうですか?」
「・・・なに、どういうことよ」
「あの男に気をつけなさい。いいように使われて、遊ばれて終わりになってしまいますよ。あなたはなにもわかっていない。無防備すぎるんです」
「あの男って、天野くんのこと?彼の何に気をつけろっていうのよ?いいように使う、とか遊ぶとか天野くんはそんな人じゃないわよ!静流と一緒にしないで!!」
「でも、どうやらその天野くんは元カノともめているらしいですよ。僕は彼はまだ未練があるとみましたね。きっと、彼にとって過去を振り切るために沙也さんが手ごろだったのでしょう」
「勝手なこと言わないでよ!そんなこと、あんたの口から出たことなんて信じるもんですか!!それに何があろうと私の勝手でしょ!?」

沙也は勝手なことばかり言う静流に言い返さずにはいられなかった。その一方で、天野の元カノの話とはどういうことだろうと頭の片隅に不安が残る。けれども静流に丸め込まれたくなかった彼女は、なにも信じない態度をとった。沙也と静流はしばらく両者引かずににらみ合っていた。口を先に開いたのは、静流だった。

「――沙也さんが今しているのは、あなたが望んでいるのはただの“恋人ごっこ”に過ぎませんよ」
「・・・・・・え?」
「ねえ沙也さん、今まで恋してきた相手や――天野くんとキスしたいだとかそれ以上のことを考えたことが一度でもありますか」
「んなっ!な、な、なな・・・っば、バカなこと言わないでよ!そ、そんなのは・・・」
「ないでしょう?あなたは男と付き合ってどうなるかまったく考えていません。だから気をつけろといっているのです」

突然の性的話題に慌てふためいて真っ赤になった沙也だったが、静流の物知り顔にむかっとした。

「だからなに?結局何が言いたいの?」
「ですから、沙也さんは考えが幼いんですよ。今だってただ『恋が実ってうれしい』、『彼氏ができてうれしい』レベルではないですか。そこから先のことを何も考えちゃいない。というよりも、沙也さんは本気で彼が好きですか?」
「な・・・っ!好きに決まってるでしょ!」
「そうでしょうか。どうせその『好き』だって顔が好み、性格が好みというもので疑わしいです。あなたの好きになる相手はいつも同じようなタイプでしょう。好みに合えば、別に天野くんではなくてもいいはずじゃないですか。今回の相手がたまたま天野くんであっただけで、あなたは彼でなくてもかまわないんですよ・・・それで本当に彼が好きだといえますか。そもそもあなたは簡単に人を好きになりすぎなんです。・・・あなたはその相手が好きなんじゃない、恋をしている自分が好きで、酔っているだけなんですよ。それはただの自己満足でしかない」

静流の言葉がここまで深く突き刺さったのは初めてかもしれない。
沙也は自分の恋を、好きの気持ちをきちんと考えたことはなかった。――静流の言う通りなのだろうか。今までたくさん人を『好き』だと思って、『恋』をしてことごとく失恋してきた。そのたびに前の恋は忘れて、すぐに新しい『恋』を見つけてきた。すぐに切り替えることができるほど、失恋に深く傷ついて泣いたことも、ふられてから相手を想ったこともない。
今では好きになった人すべてを覚えているかどうか、疑わしい。そうやって割り切れる程度の『好き』の気持ちだった。そして想い想われてからの先のことを深く考えたことはなかった。彼氏が出来たらデートしたい、一緒に登下校したい・・・多くの願望や夢はあったけれどただそれだけで。
キスだとかを思い描くにしても、それはどこか夢物語。ファーストキスやはじめてにはそれなりの夢を抱いてはいても、実感はわかない。ファンタジーのように空想して夢を膨らませていた。男女関係のことは深く考えなかった。というよりも、考えられなかった。
だって、そんな欲求を抱いたことなんてないもの。
天野とそういった関係になりたいかと問われれば沙也は、「わからない」と答える。今の関係で満足している。それはやっぱりおかしいのだろうか。本気の『恋』をしていないのだろうか。本当は彼を――『好き』ではないのだろうか。
沙也の恋、『好き』の思いを否定された沙也は、自分を支えていたすべてが揺らぐように不安定になった。認めたくない、信じたくない思いが強く、静流の言葉を受け入れることなどできはしなかった。しかも相手は恋などしたこともない、ばかばかしいと公言するあの静流なのだから。

「そんなの・・・・・・好き、だとか恋のことを静流だけには言われたくない・・・!あんたに恋愛の何がわかるって言うのよ!私に偉そうに上から説教しないで!!あんたにそんな権利はないのよ!!」
「あくまで認めないつもりですか・・・。別れることも考えはしないのですね?」
「そうよ、静流の言うことなんて認めない!だって私は、天野くんが好きだもの!!静流みたいに口も悪くないし、裏表もないし、やさしいし・・・それに私、彼にだったら何されてもいいんだからっ!!」

沙也は静流に彼女の深層心理を言い当てられたことが悔しくて、わざと反対のことを言ってしまった。せめてもの反抗心だ。息を切らして沙也が叫んだあと、二人の間には重い静寂が横たわっている。
この沈黙に静流を一泡吹かせてやれたのかと沙也は思ったのだが、突然静流に手首をつかまれ壁に押し付けられた。手首と、頭に鈍い痛みが走る。ぎりぎりと強い力で押さえつけられ、強い瞳が見据えていた。いつもの感情のないような冷ややかさではなく、怒りのこもったものだった。
彼女ははじめてみる表情に、思わずぞっとした。

「本気で言っているんですか、沙也さん?本気であの男に体まで捧げるつもりですか?」
「そ・・・そうよっ!わ、悪い!?だって私は天野くんが好きなんだもんっ」
「うるさい。嘘はやめなさい」
「いや!だって本当のことだもの!いい?私が好きなのは天野くんなのよっ!!」
「うるさいっ!」

――沙也は今まで感じたことのない感触を唇に感じた。最初は何が起きているのか理解できず、息ができないことに違和感を覚えた。そして視界がやたらと狭い。頭がうまく働かないうちに、さらに沙也はぬるりとしたものを口の中で感じ取った。息が詰まる。苦しくて、何も考えられなくなる。そのなかでもやっと沙也はひとつの答えに行き着いた。
キスされている。けれど誰に?静流だ。あのいやみたらしくて毒舌で性格の悪い、私の義兄。信じられない、なにがどうなって静流にキスされているのか。何かこうなる前触れがあったっけ?私たち、何をしていたっけ?ああ、そうだ・・・言い争いをしていたんだ。言い争いといってもいつもとは違う、まったく静流にも余裕のない言葉の応酬を。
静流は珍しく苛立っていた。理由はわからないけれど、ものすごく怒っていた。それだけは沙也にもわかった。だけど、こんなことされるのは沙也にはわからない。私がなにかした?怒らせるようなこといった?

「ふっ・・・んんっ」

苦しい。まったく優しさのかけらもないし、彼女の口内を好き勝手暴れまわっている。
触れるだけの、笑って済ますことのできるものじゃない。乱暴で、荒々しくて、怒りのこもった、戒めるようなキスだ。男性的な力を意識せざるを得ないような、そんなキスだった。
沙也は体に力が入らず、静流が彼女を支えていた。その体の感触も思っていたものと違って、恐れをかきたてられた。怖い、とはじめて思った。静流がようやく沙也を解放し、彼女はずるずると壁を背に地面へと座り込みそうになる。そこを彼が彼女の体を受け止めた。
何も考えられない。けれど問い詰めてやらなければという思いだけは強くあった。

「・・・なんでこんなことしたの?」
「・・・・・・あなたがあの男を好きだと嘘をつくからですよ」
「私は静流の妹なのに?おかしいと思わない?」
「“義理”のでしょう。血がつながっていないのですから他人と同じです」

静流はよどんだ瞳で見据えながら、視線をだんだんと下に落としていった。そして、彼女の胸に視線を定めると官能的に口元を上げる。彼の体を彼女に密着させるように押し付け、耳を甘噛みした。
呼吸が近くに聞こえ、熱はすぐ近くに感じられ、なにもかもが非現実のよう。

「それがどういうことかわかりますか?沙也さん。僕はあなただって抱けるんですよ。そうだな、それもいいかもしれません。あなたを奪ってしまったらもう、彼の元に行こうなどとは思いませんよね?」

にっこりと笑みを作りながらも、その笑みは凍りつくようだった。

「なんで・・・そんなこというの」

呆然としていた沙也だったが、静流の一句一語に傷ついていた。いつも言い争いをしていても、「家族」のつながりだけはそこにあると思っていたのに。静流は家族とも思わず、他人として接してきたのだろうか。ほかの人たちと同様に彼にとっては無関心な存在でしかなかったのだろうか。
しかも何の感情もなく、他の女の人と同じように「抱ける」なんて言葉聞きたくなかった。それこそ沙也のことをなんとも思っていない、証のような気がしたから。
そう考えるとなんだかむなしくなった。同時に、怒りがふつふつと湧き上がってきて、感情が抑えきれなくなる。

「静流にとっては何回もしてきてなんでもないことかもしれないけど、私ははじめてだったのに!なんでそういうことも考えてくれないの?なんでそうやって・・・ひどいことが言えるの?私になら何をしてもいいと思ってるの?」
「・・・沙也さんがあまりに簡単に自分の身を差し出すというから、戒めたまでですよ。どういうことかよくわかったでしょう?彼にこうしたキスすら与えることは許しません。生意気なんです――あなたが男を作ること自体が。見るに耐えない」

静流が吐き捨てるように言った。憎々しげに、苦々しく、その様子はまるで・・・・・・
――そうか、そうだったんだ。よくわかった・・・静流の言いたいことが。そして彼のやりたいことが。沙也はじんと目頭が熱くなるのをこらえながら、うつむいたまま言葉をつむぐ。

「そんなに・・・私の邪魔がしたいの?そんなに私が恋をしてはしゃいでることが目障りなの?私が困るのがそんなに楽しいの?・・・私、それくらい静流を苛立たせてるなんて知らなかった。そんなに私・・・静流に嫌われてたんだね・・・?」

静流は驚いたように目を見開いた。だがすぐに、彼の表情は暗く沈んで唇をかみ締めた。うつむく沙也から彼の表情は伺えない。

「ええ、そうですよ。嫌いです。あなたを見ていると、苛々する――」
「・・・そっか」

肯定されると意外にきついものだった。沙也は静流がむかつくことはあっても、嫌いになったことはなかったからショックでもあった。
今日わざわざデートについてきたのも、私と天野くんのデートをぶち壊すため。あわよくば、別れさせるため。静流は私に彼氏を作ること自体が生意気だといった。それくらい私のすること為すことが許せないんだ。今までの言い争いの暴言だって、静流なりの義妹への愛情だと思っていたけど、それも違ったのかもしれない。私の都合のいい勘違いだったのだ。
沙也はようやく立ち上がって、顔をあげた。

「・・・私だって、静流のことなんてだいっきらい!」

涙が頬を伝っているのはわかっていた。その涙の意味はなんだろう。悔しさか怒りか悲しみか今日はたくさんのことがありすぎてよくわからない。ただ静流の言葉に落ち込んで涙したとは思われたくなかった。だからせめてもの反撃。ダメージを受けていることを知られたくなくて、強気の態度をとる。そしてすぐに沙也は静流のもとから立ち去った。

静流は珍しく沙也が涙していたことが気にかかった。沙也が彼の前で泣いたことなどめったにない。
――僕が泣かせたのだ。
彼にもわかっていた。ずいぶんひどいことを言った。ひどいことをした。感情に駆られて、何も考えはしなかった。そして沙也の捨て際の台詞が信じられないほど彼の胸にずっしりとのしかかっていることに、彼自身不思議な気分だった。
――静流のことなんてだいっきらい!――
・・・・・・・僕だって、あなたのことが嫌いだ。嫌いなら嫌いでいいだろう? 別にかまわない。誰に好かれようと、僕には関係ないはずだ。

「・・・・・・くそっ」

拳を力任せに壁に打ち付ける。血がにじんだが、痛みは不思議と感じない。それよりも、ほかの部分が痛かった。その痛みについてあまりうまく説明はできないけれど――感じたことのないものだということは確かだった。



2010/10/20
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