Cool Sweet Honey!

太壱編―7―

――中学三年のとき交わした「約束」は5年経とうとしている今も変わらない。僕はあれから、ひかるに男として「好き」なのだと、態度で示すようになった。「約束」がある今、軽蔑されることを恐れる必要がなくなったから。
そして…「約束」によって僕たちの関係はまた、曖昧になった。

「……ひかる……」

僕らはまるで恋人同士のように、何度も唇を重ね合わせた。あの「約束」に乗じてひかるにキスする権利を得た僕は、その恩恵に浴していた。
ひかるは抵抗することなく、僕に身を任せている。ただ受け身でいるのではなく、ちゃんとキスには応えてくれるあたり嫌がってはいないのだろう。キスは官能的で気持ちのイイコトだと認識してくれたのかもしれない。
ひかるの熱に潤んだ瞳がとてもうれしかった。僕自身がが彼女を感じさせたのだと思えるから。自己満足にしかすぎないとはわかっていても、気分がよかった。

「ひかる・・・好きだよ」

僕がそう言うと、ひかるは困ったような顔をする。僕の気持ちを信じられなくて、さっとその告白を流してしまうのだ。中学生のあのときから、ひかるは恋愛に対していっそう頑なになっていた。恋愛の悪い面ばかりを見て、中傷にさらされたことでいやな思いを思い出してしまうから。だから、ひかるが僕を「好き」になっているわけもなく、5年ばかり経っても状況は変わっていなかった。ひかるが僕の気持ちを受け入れてくれないからといって、どうすることもできない。
ひかるをあんな状況に追い込んだのは、僕がひかるにキスをしたから。あの時・・・人の中傷に耐え切れず弱っていた彼女に、身勝手な欲望で止めをさしたのは僕の罪。彼女が男を軽蔑するのも、恋愛に拒絶反応を示すのも結局は僕が招いたこと。だからひかるがどれだけ僕を信じてくれなくても、僕を受け入れてくれなくても彼女を責めることなどできない。自業自得だ。

けれど昔ほど僕は絶望せず、希望を見出だすことができていた。ひかるが20歳の誕生日を迎えて僕が彼女を抱くことができれば、また状況は変わるはず。
ひかるが僕を好きで抱かれるわけではない、そんなことはわかってる。それでも体の関係を持てば僕を意識してくれるはずだし、今までとは違う情も沸いて来るってものじゃない?
ひかるを誰にも渡すつもりはない。どんな形であれ、ひかるを僕に繋ぎとめておくことができる。他の男などに目を向ける暇がないくらい僕に溺れさせたかった。
随分と浅ましく傲慢な手段で、それだけひかるに執着する自分に苦笑した。なんと罵られようとも彼女がほしいのだからしょうがないじゃないか。そう、開き直りながら。

ひかるの20歳の誕生日まで数カ月をきると、もうひかるを手に入れたような気になっていた。僕が行動に移さなければいいのだから、すでに決定したも同然だと思っていた。
ひかる以外興味はないし、彼女でなければヤる気も起きないし手を出そうとも思わない。
だからひかるの誕生日はどうしようか、何をしようか、予定を頭のなかで組み立てていた。そしてもちろん、約束の結果であるひかるとの初体験についても。どんな形であれ、ひかるが手に入るのだ。夢想の中でしか抱けなかった彼女が現実のものとなる。この5年間、ひかるを目の前にした据え膳生活を送りながらも耐えてきた。最近はあまりにひかるがかわいいものだから理性が飛びそうになった
こともあったけれど――それでも彼女だけを思っ て自分を慰めてきた。
知識だけはあっても経験がないから、ものすごく下手くそかもしれない。ひかるにはただ、苦痛を与えてしまうだけかもしれない。けれどその分、思い切りひかるに優しくして好きだと伝えたかった。疑いようもないくらい、僕はひかるしか見えていないのだと彼女に伝えたかった。

ひかるの誕生日まであと1ヶ月あまりになった頃、誕生日プレゼントには指輪を用意した。大学生にとっては少しきつい値段ではあったけれど、ひかるにどうしても贈りたかった。恋人でもないのに指輪を贈られるのは重いことなのかもしれない。それでも僕は、ひかるは僕のものだと主張したかったのだ。ひかるに指輪を 贈ることは僕の我が儘でもあった。
そしてひかるの両親である唯香さんと征哉さんに外泊許可を取らなければならなかったけれど、唯香さんにお願いしたら、あっさりと承諾してくれた。征哉さんにも話をしてくれるといってくれたし、僕たちの母親は僕のひかるへの思いを応援してくれているから、こんなにもあっさり許してくれたんだと思う。後はホテル の予約をしてしまえば完璧だった。全てが整って、僕は浮かれていた。
最悪の予想なんて全くしていなかったのだ。



***


――ひかるの家があるマンションの前に車を止めた。バイトに行くために迎えに来たはいいものの、早く着きすぎてしまった。まだひかるは下に降りてこないだろうし、どうやって時間を潰すかな、と思っていたとき、窓ガラスが小さく叩かれた。

「太壱、久しぶり。ひかるを迎えに来たの?」
「航!と、あれ?駿(しゅん)?」
「こんにちはー、太壱さん。お久しぶりです」
「兄弟二人してどうしたの?」

くせっ毛の黒髪で、男にしては小柄で童顔のひかるの弟――航貴と10歳下でまだ小学5年生の駿が車の横に立っていた。一つ下の航貴とはよく遊んでいたし、彼とも仲のいい幼なじみで友達だった。
そして駿はといえば、まだ10歳でありながらきれいな顔立ちをした、とても行儀のいい子だ。彼の大人びた態度は傍若無人な兄とは一線を画す。航貴たちとは最近はなかなか会うことがなかったから、随分久しぶりに話すような気がする。僕は車から出て、彼らに向き合った。


「駿が遊びに出て行くときに、僕が帰ってきたから出くわしたんだよ。それに加えて太壱がちょうど来たわけ」
「そうなんです。太壱さんは姉さんとバイトですよね、頑張ってください」
「うん、ありがと」
「それじゃあ、行ってきます」

丁寧に言い添えて、走り去る駿の後姿を僕はしみじみと見つめていた。生まれた頃から知っているだけに、大きくなったなあと感慨深い。きっと将来、完璧な好青年に育つ気がする。その後に航貴を見て、つい思ったことを口に出してしまった。

「航と駿ってホント似てないよね・・・」
「なにそれ、いやみ?」
「い、いやいや・・・そんなんじゃないけど・・・っ」
「まあいいや。どうせだから一緒に上行こうよ。久々で話したいこともあるし」
「うん、そうする」
「それにしても毎日毎日偉いね。ひかるに相手にされてないのによく尽くすよね、太壱は。十数年も一緒にいるくせにまだ“幼なじみ”から抜け出せてないなんて、バカでしょ?」

にこにこと愛らしい笑顔とは裏腹に、飛び出した言葉はかなり辛辣だ。相変わらず外見と中身のギャップが激しいなぁ・・・と思う。航貴の言葉があながち間違っていないものだから余計にへこんだ。

「航・・・久しぶりに会ったのに意地悪言わないでよ。僕だってわかってるんだからさ・・・」
「久しぶりだから言うんだよ。そういや、まだひかるに片思いしてるってことは太壱は童貞か。ほんっと顔に似合わないよね、太壱って」
「航に言われたくないよ。かわいくて純粋そうな顔して・・・なんて詐欺にも程が」
「あはは、うるさいよ太壱。黙れ」
「はい、すみません」

航貴に笑顔のまま凄まれて、条件反射で謝った。航貴に逆らうとろくなことがないと経験上わかっているので、すぐに謝るのが一番だ。エレベーターはすぐに一番上に到着して、神崎家の前についた。玄関にはいるとひかるが現れて、航貴を含めて少し会話を終えたあと、ひかるもすぐに準備をして僕たちはバイト先に向か った。
――バイト先である居酒屋に着くと、新しい子が一人いた。高野優実さんだと、店長が紹介した。世間一般的にはかわいいと形容されるような子だったかもしれない。だけど僕は新しく入ったのが男でなくてよかったと、そんなことばかり考えていた。男だったらひかるを見れば必ず好意を持つに違いないし、これ以上ひか るに近づく男を増やしたくなどないから。とにかく僕は新しく入った女の子にも興味が全く持てず、ひかるのことしか考えていなかった。
高野さんは僕たちのひとつ下の大学生だというので、店長に話を振られ、僕とひかるは彼女に挨拶をした。当たり障りのない、これから一緒に働く上で人間関係を築くための、必要最低限な話だけ。僕と高野さんが話していると、不意にひかるが僕たちから離れて行ってしまった。以前にも同じことがあったと不安を感じ、 焦ってひかるを引き止める。

「ひかる、どうしたの?」
「別に・・・。あんたは今日ホールじゃないからついてこなくていいのよ」
「そう・・・だけど」

ひかるはそのまま僕に背を向けて店長と話を始めてしまった。突然刺々しい態度になったひかるを訝しく思ったものの、理由がわからずに頭をひねった。わずかな疑問を感じながらも、開店時間になってしまって彼女と話すことは叶わなかった。

バイト時間は刻々と過ぎ、22時には深夜の人と入れ替わる。ひかると高野さんはすぐに上がって、僕だけは少しの間延長することになった。ひかるをあまり待たせたくなくて、店長に「上がっていいよ」といわれるとすぐにスタッフルームに向かった。

「ごめんね、ひかる。すぐ帰ろう?」

ひかるを見遣ると、僕は違和感を覚えた。なんだか元気がないようで、少し暗い顔をしている。バイト前のイライラした態度と同じように、今日のひかるはどこか変だ。なにかあったのだろうか?僕が何か気に障ることをしただろうか?気になってひかるに尋ねようとしたとき――

「あ、二ノ宮さん!お疲れ様でした〜」
「ああ、高野さん。お疲れ様。今日はどうだった?疲れてない?」
「はい、全然!実は私、二ノ宮さんたちと同じ大学の看護学部で・・・」

高野さんに話しかけられてひかるに声をかけることができなくなった。無下に扱うこともできず、言葉を返すとどんどん話が膨らんでいってしまった。その間にもひかるの顔色は悪くなっていくし、彼女のことが気になって仕方がない。ひかるに目をやりながら、どうやって高野さんの話を切ろうかと考えあぐねいてるうち に、ひかるはついに背を向けて出て行く素振りを見せた。もうだめだ、ひかるを行かせるわけにはいかない。

「あ、待って、ひかる!僕もすぐ行く。・・・ごめんね、高野さん。君もあまり遅くなると危ないから、今日はここまで」
「そうですね・・・。ごめんなさい、私ったらつい・・・。また会ったらお願いします、二ノ宮さん、神崎さん」
「うん。じゃあね」
「・・・またね、高野さん」



高野さんに別れを告げたあと、僕とひかるは駐車場に向った。ひかるは早足で歩いて、ぴりぴりとした空気が感じられる。どうしたんだろう、なにがあったんだろう・・・ひかるを心配していたとき、彼女が振り返った。

「・・・あたしに気を遣わなくてもよかったのに。まだ話していてもよかったのよ」
「何言ってるの?僕はひかると一緒に帰りたい。そんなことしか考えてないよ」
「・・・ふぅん。でも、あの高野さんって可愛いと思わない?お人形みたいで」
「う〜ん、別に?」
「別に?あんた、頭大丈夫?」
「だって僕が可愛いと思うのは、ひかるだけだから。ひかる以外を可愛いなんて思うわけないよ」

僕の否定に、ひかるは心底驚いたような声を出した。でも、ひかるが僕にとって一番かわいい女の子。これは本心以外の何ものでもないし、実際高野さんを見てもなんとも思わなかった。というか、ひかる以外の女の子にはときめかないのだ。
僕がシートベルトをしてエンジンをかけていると、ひかるは僕の返答に目を見開いてぷいと顔を逸らした。唇を強くかみ締めて、何か考え込んでいる。

「・・・・・・なにそれ。あたしが”かわいい”わけないじゃない・・・」
「わかってないなぁ、ひかるも・・・。ひかるは可愛いよ、とてもね。でもそれを知ってるのは僕だけだ」
「…ふざけないでよ。バカなこと言わないで!あたしはかわいいなんてタイプじゃないの!かわいいっていうのは、高野さんみたいな子を言うのよ」

ひかるが強い口調で反論した。いつものポーカーフェイスが崩れて、彼女の傷つきやすく脆い面があらわになった。――ひかるは自分自身が「可愛い」なんてことありえないと思っている。彼女は意地っ張りで素直じゃないことを自覚して、そんな自分を、素直さを持った女の子と比較している。「かわいらしい」女の子に 劣等感みたいなものを持っている。
そして「女の子」らしい扱いに戸惑いを覚えているのだ、ひかるは。今日だってひかるが客にからまれていたことがあった。僕にとっては気が気ではなく、間に入らずにはいられなかった。けれどひかるにとっては余計なお世話でしかなくて、彼女は「自分で何とかできた」と言っていた。彼女の言いたいことも十分わかってる。それでもぼくは身勝手にも、ひるを守りたいと思ってしまう――ひかるは確かに強い女の子だけれど、僕にとってはかけがえのない人だから。

「ひかる」

感情的になっているひかるを落ち着けようと、僕はやさしく名前を呼んだ。ちょうど赤信号になったので車を停止させ、ひかるの肩を抱き寄せると唇を重ね合わせた。激しくならないように、ただただやさしいキスを。ひかるの体から力が抜けて、落ち着いていくのがわかると彼女を僕から離した。そして、彼女の漆黒の瞳 と合わせる。

「ねえ、ひかる・・・。あまり自分を貶めないで。僕のひかるを侮辱したら、いくらひかる本人でも許さないからね」
「・・・何よ。あたしはあんたのものになった覚えはないわ」

ひかるはいつものように、強い態度で反論してきた。つんとした物言いに僕は安心すらする。
――君はそれでいい。自分を卑下することなく、凛とした君のままでいてほしい。そう心の中で願いながら、僕は車を発進させた。













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