Cool Sweet Honey!

太壱編―6―

僕たちの担任の先生はまだ30代ぐらいで、あまり固いことを言わない寛容な人だった。簡単に僕たちに話を求め、原因について深く掘り下げられることを拒むとため息をつきながらも、「とりあえず反省文だけ提出しろ」と言った。僕も竹中も普段は問題を起こすようなタイプではなかったため、それだけで済んだのかもしれない。
話が済んで生徒指導室を出ると、ひかるが待っていて正直驚いた。何があったのか、心配できてくれたのだろうか。竹中もひかるを見るとさすがにばつが悪いようで、そそくさと去っていった。その方向を睨みつけると、ひかるに安心させるように微笑んで先生にも挨拶をした。先生が職員室に行ってしまうと、ひかるはそれを待っていたようで僕に尋ねてきた。

「どうしたの?何であんたが喧嘩なんてしたのよ」
「んー・・・いろいろとね。それはそうと、ひかる」
「・・・なによ」
「顔色が悪いよ。なにかあった?何か・・・言われた?」


喧嘩の原因などひかるに言えるはずもなく、僕ははぐらかした。けれど「顔色が悪い」と感じたのは嘘ではなく、本当に気になったことだ。僕が指摘するとひかるは途端体をこわばらせて、不安の色を滲ませた。その反応を見て取って、僕は唇をかみ締めた。・・・やっぱり・・・何かあったのだ。ひかるが傷つくようなことがあって、彼女は苦しんでいる。――いや、今まで蓄積されてきた痛みによって、すでに彼女を支えている心の強さが限界に近いのではないか?
くそ・・・もっと早く彼女の不安や痛みを解消してやればよかったのに・・・!自分自身への情けなさと憤りでいっぱいになっていて、気づいてあげられなかった。僕はずっと間違った選択ばかりしている。
僕の家にひかるを連れて行って、ちゃんと話を聞こう。なにがあったのかちゃんと話してもらいたい。僕の前では強がらなくても、弱さを見せなくてもいいのだと・・・ひかるに言いたかった。今日のひかるは沈んだ顔をしていてどこか泣きそうな印象だった。こんな状態のひかるは見たことがない。自分自身にイラついて、ひかるの手をとりわき目もふらず早足で歩いた。

ひかるを僕の部屋に通すと、気持ちを落ち着けるためにもホットミルクを渡した。ひかるはマグカップを素直に受け取るとしばらくじっとしていた。そして彼女がホットミルクを口にする姿を見ながら、やはりいつもと違うと感じずにはいられなかった。ひかるが落ち着く頃合を見計らって彼女に問いかける。

「・・・ひかる、何があったの・・・?」
「・・・・・・」

ひかるは僕の問いにも無言だった。顔を下に俯けたまま唇をかみ締めている。ひかるが傷ついている事実をさらけ出すことは難しいとわかっていた。ひかるは自立心が強い女の子で、昔から泣きたくても我慢して、人に頼ることは弱いことだと思っているようだったから。
彼女はなにに傷ついたのだろう?どんな言葉が彼女をここまで追い詰めたのだろう?あのメールのような彼女への誹謗中傷か、竹中のような男たちが彼女に何かしたのか・・・。ああいう奴は思いのほかいるに違いない。竹中のひかるを貶める言葉が頭をかすめた。
―“顔も体も最高だし。けど性格は最悪だな。お高くとまりやがって、今だって全くかわいげがないだろ”―
うわべだけで判断して、彼女の全てを否定する言葉を思い出して収まっていたと思っていた怒りが蘇ってくる。そして、他の男たちがひかるを「性的に」見ていることが耐えられなかった。彼女をそうやって見ていいのは僕だけだと――黒い独占欲に満ちた考えが沸々とわきあがってくる。
今だ黙ったままのひかるは何だかはかなげで、僕は抱きしめられずにはいられなかった。そして、心のどこかでひかるの存在を僕の腕の中で感じたかったとも思っていたのだろう。

「ごめん・・・。言いたくないよね。いいんだ、何も言わなくても。僕がいるから・・・」

抱きしめた感触は信じられないくらいやわらかかった。ひかるを「女の子」として好きだと意識し始めたあたりからむやみに抱きつくことはしていなかったから、幼い頃に記憶していた感触と異なっていて驚きもした。昔は背も体格も同じはずだったのに、今のひかるは僕の腕の中にすっぽり納まるくらい・・・華奢だった。
ひかるを抱きしめている。この腕の中にひかるがいる。体のやわらかさと香水も何もつけていないのに香る、彼女の甘い匂いが僕を刺激した。ひかるは僕の抱擁を振りほどくこともせず、受け入れるように背中に手を回してくれたことにも僕は喜んだ。
ここ最近・・・ひかるにキスをしてしまったあのときから、ひかるへの欲求が日増しに高まっていた。一度味わってしまった感覚が余計に渇望感を誘った。彼女が常に僕の側にいる、けれど触れられない。それがまた苦しくもあって・・・。
抱きしめて彼女の存在を丸ごと感じたせいで欲情してしまった。不意に、ひかるが僕を見上げて目がかち合った。ひかるの瞳は涙でわずかに潤んでいて、しかも上目遣いによって随分扇情的だった。好きな女の子が艶めいた空気を漂わせている――それを前にして、強く甘い欲望が駆け巡った。そのときの幼い僕には抗えなかった。何も考えられなかった。ひかるが瞳を曇らせたのも気づくことなどできるはずもなく。
気がつけば、欲求に流されて彼女にキスをしてしまっていた。最初は軽いだけのもので満足だった。
けれど次第に深くひかるを感じたいと思ってしまって、がむしゃらに彼女を求めていた。ひかるの口をこじ開けて舌を割り込ませる。ただ本能のままに舌を絡めて、深い口づけをした。ひかるからの抵抗はなく、彼女は僕のなすがままだった。僕はそれに気を良くして、キスを続け、彼女の首筋にもキスを落としていった。ひかるの肌から甘い香りがする。男とは違う「女」の匂いと、舌でなぞれば不思議と甘い味がするような気がして、感情が昂っていた。欲望にのまれ、何も考えられなかった。
――ひかる。ずっと触れたくて我慢していた女の子が今、僕の腕の中にいる。僕のキスを受け入れている。その身勝手な支配欲という快感に体が震えた。
我を忘れてひかるに夢中になっていると、僕の顔に何かが当たった。不思議に思って顔を上げ――僕は真っ青になった。ひかるは静かに涙を流していた。目はうつろで頬に涙が伝っている。
僕は――取り返しのつかないことをしたのだ。すぐさま襲ってきたのは後悔と自己嫌悪。自らの身勝手さと弱さに、自分自身を殴りつけてやりたくなった。なにを思い上がっていたんだ、全く勘違いも甚だしいじゃないか!
ひかるは俯きながら、ポツリポツリと言葉をつむいだ。

「・・・太壱も結局は同じなの・・・。あたしとそんなにしたいの?あたしの価値はそれだけなの?」
「・・・っ!ごめん、ひかる・・・!僕はそんなつもりじゃ・・・!僕はいつも言ってるでしょう?君が好きだ。だから・・・」
「”好き”って何よ?結局はやりたいんでしょ?何が違うの、同じよ!何もかも同じだわ!”好き”なんて誰でも言える言葉を使えば許されると思ってるの?そんなものを免罪符にしてあたしに触らないでよっ!!」
「・・・ひかる・・・」
「もういや。最悪。男なんて嫌いよ。何の権利があってあたしを貶めるの?どうして何よりも先にあたしの体を眺めるの?もううんざり!それに・・・恋愛だってふざけてるわ。好きだなんだって言って、醜いことを平気でして許されるとでも?他人を傷つけて許されるとでも?バカにしないでよ!あたしを巻き込まないで!!」

ひかるは今まで溜め込んでいたものを吐き出すように言い切った。その激しい言葉とは裏腹に彼女は震えて、自分を守るように体を抱きしめている。
――僕が傷つけた。ひかるは今男たちの性的欲求に敏感になっていて、嫌悪すらしている。それなのに、彼女が「幼なじみ」だと信じていた僕までもが彼らと同じような振る舞いをしたから・・・僕が、僕自身が彼女に最後の一撃を与えたのだ。僕の一方的な恋心が彼女を傷つけた。
僕はひかるを守りたかった。それにもかかわらず、僕自身が彼女を一番傷つけただなんて、なんという皮肉だろう。
ひかるは顔を上げ、涙に濡れた瞳で僕を見据えた。

「・・・太壱だって同じ。信じられないの。あんたなんか・・・っ」

――そのあとに続く言葉がなにを意味するのか、僕にはなんとなくわかっていた。当然だ、ひかるを顧みず自分勝手な行為をして彼女を傷つけたのだから。ひかるはきっと、僕を嫌いになった。軽蔑した。もう自分の側にいてほしくないと、消えてくれというに違いない。
僕はなんてバカだったんだろう。僕の自制心など脆弱で、自分の行為のせいでひかるとの関係が終わりを告げようとしている。後悔してもしきれないくらい・・・苦しかった。
けれどいくら待ってもひかるからの最後通牒は訪れなかった。その代わりに、僕は信じられない言葉を聞くことになる。

「・・・・・・ねえ、太壱。あたしが”好き”って言うのは本気?それをあたしは信じてもいいの?」
「当たり前だよ!僕はひかるが好きだよ。・・・ひかるが恋愛感情に不信感を持ってるのは仕方ないよね。でも、僕は・・・」
「そう・・・それじゃあ、あたしが二十歳になるまで童貞を捧げなさいよ。誰にもキスしない、抱かないって約束して。あんたが守ったら、その時はあたしを抱くなりなんなりすればいいんだわ!」


ひかるが感情的になってそう言うのを僕は呆然と聞いていた。その約束は・・・あまりにも僕に都合のいいように聞こえた。僕がひかるを一途に思い続けていれば・・・彼女が手に入る。ひかるは今男性不信に陥っていて、僕の気持ちを試すためにこんな事を言い出したのかもしれない。彼女は冷静さを失っているから自分の身を差し出す提案までしたはずだ・・・。
わかっている。わかってはいても、この約束をすれば僕は彼女の側にいることができる。最後には彼女を手に入れることができる。そして・・・彼女に男として、「好き」という感情を惜しみなく表すことができるのだ。
そしてなによりも――この「約束」があればひかるはだれにも奪われない。ひかるは責任感が強くてプライドが高いから、一度言った約束を反故にはしない。僕はひかるに縛られる約束を受け入れるようで、実際はひかるを僕に縛る約束をしていた。









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