Cool Sweet Honey!

太壱編13

すでにひかるの誕生日まで近づいていた翌日、僕は彼女に会ったらまずどうしようかと考えながら大学に向かった。
彼女にどんな反応をされるかわからない分、余計に緊張するというものだ。駐車場から構内へ移動する途中、会いたいとは正直思えない人と出くわした。

「偶然、二ノ宮さん。おはようございます」
「……おはよう」

ものすごく普通に挨拶をしてきたので、僕も同じように返した。
僕に無視することができるはずもないし、今までの出来事全てを彼女のせいにすることもできないから普通に接するしかないのだ。彼女はわざとらしく僕の周りを窺った。

「最近神崎さんと一緒じゃないんですね」
「・・・白々しい。よくわかってるくせに」
「ふふっ。そうですね、それにしてもこれからどうするんです?」
「・・・さあ、どうにかするよ」
「えー、教えてくれないんですかぁ」
「・・・・・・」

残念、と高野さんが続けてつぶやいていた。以前と同じように接することができず、刺々しくなってしまう僕の態度すら彼女は気にしていないらしい。神経が図太いというか、したたかというか・・・そんな感想を抱きながら、さっさと教室に向ってしまおうと思っていた――そのとき。
高野さんが何かに気がついたように遠くを見ていた。何事だろう、と思い顔を上げれば・・・そこにはずっと会いたくてたまらない姿があった。ちゃんと見たのは随分久しぶりな気がして、熱い思いが込み上げる。
僕の好きな女の子は、しゃんと背を伸ばしてつかつかとこちらに歩み寄ってきていた。どうしたのだろう、昨日までずっと避けてばっかりだったのに、一体なにが――。混乱したまま、呆然と彼女の姿を見つめることしかできなかった。僕の目の前まできて止まると、しっかり僕を見据えてきた。

「おはよう、太壱」
「・・・ひかる・・・」


――ひかる。やっと声に出して彼女の名前を呼ぶことができた。そして久しぶりに聞く彼女の声。澄んでいてきれいな声が僕の名前を呼ぶ。
込み上げてくるものがあって、思わず表情が緩みまくりそうになった。けれどもすぐに今までの事を思い出して目を伏せる。ひかるに会って色々話そうと思ってた。僕の気持ちを伝えようと思ってた。それなのに、いざとなると口が開けない。
そして、ひかるは僕に何を言うつもりだろう?いいことなのか悪いことなのか、それすらもわからず僕の心臓が大きく音をたてるのを聞いていた。

「太壱」


ひかるが僕の名前を、静かに強く呼んだ。顔を上げると、ひかるは僕をしっかり見据えて微笑んでいた。ひかる、と彼女の名前を呼ぼうとしたとき――彼女の胸倉を掴まれて一気に二人の距離が近づいていた。僕の瞳と彼女の漆黒の瞳がその一瞬のうちにあって、彼女がまた面白そうに笑った気がした。
僕はただひかるにとらわれて、何も考えることもできずひたすらに彼女を見つめる。だから次の瞬間に起きた出来事が上手く理解できなかった――だってそれは、予想すらしていなかったこと。これは夢、妄想、幻想・・・現実だと理解するのにかなりの時間が必要だった。
唇に触れた甘さすら感じられそうな、暖かな感触。忘れられるはずもない、僕の愛しい女の子のキス。夢なら夢でいい、覚めてほしくない夢だ。わずか数秒のその時間も僕には時間の概念を忘れ、長い至福の時間のように感じた。ひかるは僕から離れ、いまだ放心状態の僕を見つめている。


「・・・ひかる・・・?」


――このキスの意味は、なに?これは夢ではなく、現実なのだろうか。現実だと信じたくてたまらないのに、そんな都合のいい話があるだろうかとも一方では叫んでいる。
僕の戸惑いをよそにひかるは僕の情けなくも動揺している様子を見て、くすりと口元を上げた。彼女は存在感たっぷりに腰に手を当てて、言い放つ。

「ねえ、太壱。あんたが好きなのは誰?あたしを誰よりも愛してるのは誰?」


その答えは言うまでもない。問われる必要もないくらい、僕には唯一つの答えしかないのだ。
ひかるの突然の問いも僕には関係なかった。さっきまで彼女の言動と態度を予想してびくびくしていたのが不思議なほど、彼女の意図を考える必要もなかった。
彼女の意図なんて知るものか――だって、僕の答えはひとつしかないのだから他に答えようがないんだ。
僕が好きなのは、彼女を誰よりも愛してるのは言うまでもなく。

「僕が好きなのはもちろんひかるだよ!そして、ひかるを誰よりも、ずーーっと昔から愛してる男も僕だけだ!ああ、ひかる。好きだ、大好きだよ。愛してる!」


僕は感情に突き動かされたままひかるを強く抱きしめた。抑えきれない愛情が僕を満たして、調子に乗って彼女の顔中にキスをした。怒られるかと思ったけれど、ひかるは僕のしたいようにさせてくれてまた嬉しくなった。
ずっと言い続けてきた言葉でも今までと違うとはっきりわかる。ひかるが僕の言葉をしっかりと受け止めてくれて、応えてくれたのだ。ひかるのあの問いかけは実に彼女らしい。僕の気持ちを心から信じてくれたからこそ、僕の答えがわかっていたからこそ確信を持って問うた。そう――彼女は僕の「好き」だという言葉を信じてくれたから――。
恋愛に、そして男に嫌悪感を示していた彼女が僕を「信じる」ことはどれだけ勇気のいることだったろう・・・。
涙が出そうなくらい、幸せだった。

「ひかるちゃぁん。良かったねぇー!王子とお幸せにぃぃ!う、ううっ」
「太壱ぃぃ。よかったなぁ。うぐ、泣けるじゃねーか。それよりもお前こんなところでらぶシーンするなよなぁ!このやろぉぉぉ!」

あまりの喜びと驚きにすっかり周りの事を失念していた。ここは大学の構内で、当然のことながら多くの学生が行き交う場所だ。人だかりの中に僕とひかるの友人たちが大仰に喜んでいたのを見て、苦笑した。確かに最近の僕とひかるの関係は周りに心配をかけたし、友人はみんな口には出さないまでも色々と聞きたそうだったから。
ひかると二人で苦笑いしていると、さっきまで大泣きしていた川田さんが涙を止め、大きな声で叫んだ。

「ひかるちゃーん!もう一回キスして!キスっ!アンコール!」
「そうだそうだー!いけ!太壱ィ!!」

川田さんの掛け声に続き、恵介までもが囃し立てた。周りのギャラリーも悪乗りをしてアンコールの大合唱をし、拒否権がないくらいに僕たちは追い詰められる。僕は困ったような表情を作ってひかるに向いた。

「だ、そうだよ。どうする、ひかる?」
「まあ、いいんじゃない?」

ひかるも僕と同じことを考えているようだ。僕にはもう羞恥心などないし、ひかるは僕のものだと証明するいい機会なのだから、絶対に逃したくない。まあ、単純に僕がひかるにキスをしたいっていう欲のほうが強いんだけど。
僕はひかるの頬に手を添えて、周りのギャラリーを見渡した。女の子だけじゃなく、男たちも随分いるからちょうどいい機会だ。せっかくだから牽制くらいしておかなくちゃね。

「ひかるは僕のものだから、決して手を出さないように」


にこりと笑顔でそういうと、ひかるに唇を寄せる。その瞬間にどっと人々が沸くのがわかったけれど気に止めなかった。彼女も同じく受身ではなくしっかりと応えてくれるあたり、僕の事を好きでいてくれる証明のような気がして胸が熱くなった。


***


それからひかるには見事に一発殴られた。随分鬱憤が溜まっていたようで、端から見たらひどい言われようだったけど気にはならなかった。
言葉の節々にひかるのヤキモチが見えかくれしていて、不謹慎ながらうれしく思ったから。それに彼女を傷つけたことも事実だし、拳の一発くらい甘んじて受け入れる。彼女と一緒にいられるなら何があろうと僕はかまわないのだ。
その日の講義中、幸せを噛み締めていて内容が頭に入らなかった。あまりに顔がゆるゆるだったからか、ひかるにはいい加減にしろと言われたけれど。
――明日はひかるの誕生日。あの約束とは違った形で迎えることになったけれど、ひかると一緒に過ごして祝ってあげたい。
彼女は許してくれるだろうかと少し気にかかっていた。

だからひかるに話をしたとき、彼女の返答はうれしくもあり…本当に驚いたんだ。

「あんたの”童貞”を私に捧げなさい」

僕の独りよがりではなく、彼女も僕をほしいと言ってくれている。僕に全てを委ねようとしてくれている。
上からの言い方であっても、それは彼女なりの照れ隠しでもあるから。
かわいいなあ、と思って彼女にキスをすると何も言わず受け入れてくれるのが、たまらなくうれしい。
約束もなにも関係なくひかるを抱ける。罪悪感や負い目を感じることなくこの日を迎えることになるとは思いもしなかった。
ひかるが僕の気持ちを受け入れてくれてから――ひかるが好きだと、彼女の側にいたいという思いが増した。
ひとつ手に入れるとまたもうひとつ欲が出て来るようで、ずっと心に秘めてきた願望が顔を出してきた。
昔からその願望はあった。でも僕はひかるに片思いしていたし、そんな状態ではまるで夢物語だったのだ。
いつかひかるに僕のことを好きになってもらってその先はただひとつ――結婚しかないと思ってた。
ひかるとしか考えられない未来。漠然と未来を想像していたけれど、今やっと現実味を帯びてきたのだった。
もちろん、ひかるの結婚に関する気持ちはわからない。今の段階では僕の願望でしかないし、彼女にしてみれば性急すぎると笑われるかもしれなかった。僕にとっては突然の考えというわけではないだけだ。
明日のことを考えるとうれしくもあるし不安でもある。
なにより、自分でも今の気持ちを持て余していた。彼女と結婚したい、というのは僕のわがままだ。普通に考えれば、まだ学生だしせめて卒業まで待つべきだとわかってる。
だけど、それ以上に。ひかると今まで以上に側にいたいと、僕のものにしたいと願っている自分がいた。










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