Cool Sweet Honey!

太壱編―1―

――僕の大好きな女の子は、誰よりも可愛くて綺麗で、色っぽくて美しい。そしてはっきりとした物言いをして、誰に媚びることもない凛とした美しさをもっている。何事にも物怖じせず対処して、立ち向かえる強さがある。
けれど、僕は知っているんだ。そんな傍から見たら「強い」彼女も本当はただの「女の子」なんだと。不器用で意地っ張りで、感情表現が苦手で、言葉よりも行動。そしてポーカーフェイスの裏では傷つきやすい面を持っていることも。
誰からも守られる必要がなく見えても、本当は誰よりも僕が守らなくてはならない――それが僕の幼なじみ、神崎ひかるだった。


僕の一日はひかるを迎えに行くことで始まる。彼女の家まで行って、車で同じ大学に行くのだ。僕が医学部を志望したのは単純な理由で、家が祖父の代から続く医師の家系だし、今は父が病院を継いでいるからだ。強制されたわけではないけど、なんとなく昔から僕も医者になるのだろうと思っていた。そしてひかるはといえば、彼女の父親も同じく医者だ。その影響からか、彼女は昔から医師になる志を持っていたようだ。
僕がはっきりと医師になろうという決意を固めたのも、興味は確かにあったにせよ、ひかるが「医師になる」と言っていたから、という理由が関係することも多少は否めない。

「ひかる、着いたよ」
「ああ、うん。ありがと」

車の中で少しまどろんでいたひかるに声をかけて、僕たちは車を降りて歩き出した。ひかるは低血圧なのか、朝はいつも以上に無口になる。それでも歩き出せば背筋を伸ばして凛として歩くし、その姿はとっても綺麗だ。そんな彼女をちらちらと見る男たちの気持ちが分からないでもないが、僕としては気分が悪い。
ひかるは僕のものでもないのに、独占欲に満ちた思考をしてしまう権利なんてないと思いながら、僕はいつも考えてしまうのだ。
大学の構内に入ると、「ひかるちゃーん」と呼ぶ声がした。ぶんぶんと大きく手を振る彼女はひかるの友人・川田美佳さんと、その隣にいるのは井上早苗さんだ。

「美佳たちがいるから。じゃあね」

友人の姿を見つけてさっさと僕の隣を離れてしまいそうなひかるに、少しの寂寥感を感じる。1限は必修科目だけどクラスに分けられていて、僕とひかるは別クラスだから別れて当然なんだけど・・・。
なんとなくひかるに触れたくなってしまって、僕に背中を向けて歩き出した彼女を後ろから抱きしめた。

「またね、ひかる。離れてなくちゃならないなんて淋しいな」
「あんたは、バカ?」
「・・・つぅ・・・っ」
「いちいち抱きつくから悪いのよ」

呆れたようにひかるは、僕に肘鉄を食らわした。見事にそれは僕の腹に決まって、彼女を離さざるを得なくなる。僕が痛がるのを見ると、フンと鼻を鳴らして去っていってしまった。相変わらずつれない。だけど彼女の体の柔らかな感触はしっかりと感じたので思わず頬が緩んだ。

「おーい、太壱!」
「ああ、みんな・・・おはよう」
「おい、見てたけど腹大丈夫かよ?太壱も毎日毎日飽きねぇなあ」
「神崎さんもすごいよな。いつも思うけど」

ぞろぞろとやってきたのは同じ医学部の友人たち。僕とひかるのこのやり取りは、ある意味おなじみの光景となっていてみんなも少し呆れ気味だ。僕は曖昧に微笑んで、友達と1限の教室に向った。
まだ講義が始まるには早く、先生も大体10分は遅刻してくるのでその間僕たちは他愛もない話をしていた。今日の話題はいつの間にか「恋愛」話になっていた。
「どれくらい付き合ったら彼女を家によんでいいものなんだ?」

きっかけは最近初カノができたという友人の一人、恵介がそんなことを言ったからだった。今この場にいるこの5人のうち2人はすでにカノジョと長い付き合いのようで、恵介の質問にニヤニヤと笑っている。自分たちのカノジョとの付き合いだとか、根拠のないようなアドバイスを好き勝手している友人たちは、この手の話は随分楽しそうに見える。
男同士の会話なんて、随分あけすけなものだ。オブラートに包んだ言い方をしなくてもかまわないのだから、きわどい言葉が飛び交っている。恵介は興味深そうに彼らの話を聞いているわけだけど、さて参考になるものか。絶対楽しんでいる気がするんだけどなぁ。ぼんやりと考えていると、当の恵介が僕を振り返った。

「・・・で。太壱はどうだった?」
「ぼく?残念ながら、僕は話すことなんて何もないよ」

この話題については傍観を決め込んでいたから、突然話をふられて少しびっくりした。友人たちは高校で付き合っていた女の子のこととかを話していたわけだけど、返した言葉の通り、提供するネタなどないのだから。けれど友人たちは僕の言葉を冗談か何かだと思ったらしい。

「隠すなよ!太壱の話、すげー気になるんだけど」
「そうそう!お前みたいなイケメンの歴代のカノジョとかさ、なんかすごそうじゃん。学年一の美少女、とか美人な先輩とかかわいい後輩とか」
「だから、話すことなんてないってば。カノジョいたこともないし」
「は?嘘だろ?それか、なにか。”カノジョ”と名のつく存在はいなかっただけとか?うわ、お前見かけによらずサイテーな奴だったわけ?」
「なんでそうなるんだよ!カノジョもいたことないし・・・・・・当然・・・したこともない」
「……え…マジ…?つまり……太壱が童貞?」
「……だったら何?」

心外だ。カノジョがいなかったといっただけで、どうして誰とでも寝るような男の扱いにされなくちゃならないんだ。少々むっとしながら否定すると、友人たちはぽかんと口をあけていた。・・・なんだろう、この反応は?何でカノジョがいなかったと、童貞だと告白しただけでこんな驚かれなくてはならないんだろう?
カノジョがこの20年間いないなんてこと、別に珍しくもなんともないじゃないか。現に、この場にはカノジョのいない友達もいる。

「・・・マジかよ、しんっじられねぇ。お前みたいな、女子にキャーキャー騒がれるような、いわゆる学年一のイケメンタイプがカノジョいない暦20年・・・!」
「なあ、なんでだよ!?どうせ告られまくってたんだろ、しかもより取り見取り!なのに付き合うとか思わなかったわけ?」
「だって僕はずっとひかるに片思いしてるんだよ。当たり前じゃないか」
「……は?お前みたいなやつが片思いしてて、相手とは一向に恋人関係にもならずになお、女と遊ぶこともしたことがないって!?」
「もったいねぇ!!なんかものすっごくもったいない気がする!!俺がお前だったらもっとこう、うまくやる・・・!!」
「・・・そんなに驚かれることかなあ・・・」
「バカヤロー!お前は俺らと格が違うだろうがよ。普通なら長い片思いなんかやめて、適当に付き合うところじゃね?お前くらいになると、女なら喜んで付き合ってくれるだろうしさあ」
「無理だよ。僕にはひかる以外見えてないから。ひかる以上にかわいくて綺麗でステキな女の子はいないもん」

僕がはっきり言うと、みんなが「のろけたー!!」だとか、またぎゃあぎゃあ騒ぎ出す。でも、これが紛れもない僕の本心。ひかるはとびきりに可愛くて綺麗なんだから。
つややかでまっすぐな黒髪は美しく、切れ長の漆黒の瞳は吸い込まれそうな凛とした輝きがある。すらりとした長い手足に、細身のわりに誰もがうらやむような女らしい体型、そして…彼女は男なら抗いがたい色香をまとっている。
内面的にも外見的にも、とにかく僕はひかるに惹かれてどうしようもない。うっとりと、ひかるの様子を思い浮かべていると、友人たちの中で自然とひかるの話題へと転じていた。

「まあ、太壱の言いたいこともわからないでもないけど」
「きれいだもんなぁ。色気もやたらとあるし」
「でもさ、太壱がずっと片思いしてて童貞ってことは、神崎さんも処」
「それ以上は僕の前で言わない方がいいよ・・・って、知ってるよね?」

処女、と続きそうになったところで僕は笑顔で言わせないようにした。ひかるをそうやって性的な目で見てもらっては困る。友人たちも失言に気がついたようではっとした顔をする。

「わ、悪かった悪かった。もう何も言わない。お前が神崎さんのこととなるとおっかなくなることを忘れてました」
「そうだね。ひかるの事になると僕の心は何百倍も狭くなるから、下手なことは言わない方がいいよ」

普段の僕は自分で言うのもなんだけど、温和だと思う。滅多に怒ることもないし、大概のことは許してしまう。だけどひかるのこととなれば話は別だった。知り合って間もない頃、彼らがひかるについてあまりにあけすけに噂するものだから、一度キレたのだ、この僕が。それからというもの、彼らはなるべくひかるのことは話題に出さないでいる。賢明な判断だ。
講義開始時刻から10分後、先生がやっと現れたためにこの話題は打ち切りとなった。



***


――「普通なら長い片思いをやめて、適当に遊んでるところじゃね?」――

僕はぼんやりと友達の言葉を思い出していた。みんなはそういうけれど、僕はひかる以外の女の子を好きになろうとしたことは一度もない。この片思いが辛くないか、と問われれば嘘になる。だけど僕には彼女しか愛せないのだ、きっと。
友達に言われたように、告白だけは山ほどされた。周りから「かわいい」と評判の女の子も確かに多かった。それでも心動かされたことはなく、「付き合う」気なんて起きなかった。ましてや、遊ぶだけのセックスなんてことも。
そんなことをしてもむなしいだけだとわかっていたし、僕にはひかるとの「約束」もあったから。それでもこの「約束」が苦になっていたわけじゃない。むしろ僕にとっては都合のいい話だった。何故ならひかるを想って待つだけで、彼女の全てが手に入るのだから。



「…眠い」
「大丈夫?家に着くまで寝ててもいいよ」
「……ん、そうする」

大学から家までの帰りの車内、ひかるはずっとうとうとして眠そうだったけれど、ついに睡魔には勝てなかったようだ。僕の車の助手席で、ひかるは無防備に眠りについた。僕は信号待ちで止まると、ちらりと彼女を見遣る。
閉じられた瞳を縁取る睫毛は長く、唇は鮮やかに色づいている。上着を脱いでいるせいで豊かな胸が呼吸で上下する様子が見てとれるし、ショートパンツから伸びる足はタイツをはいていながら十分そそられる。
全くの無防備、警戒心というものがない。僕相手だからこんな風に安心しきっていることに、喜ぶべきか喜ばざるべきか。誰よりもひかるの事を好きで抱きたいと思っている男の前で眠るなんて、なにされても文句は言えないよ、と心の中で彼女に忠告する。
目を離せない。ひかるの小さな寝息が静かな車内では耳に残り、意識せずにはいられない。いとも簡単に、欲情していた。すぐさま広がりそうになる妄想と欲望をふり払う。だめだ、今は運転に集中しなくては。
それからしばらくして、やっとひかるのマンションの前に着いた。彼女を起こすのはなんだか勿体なくて、僕は寝顔を眺めていた。いつもより幼く見える表情はとてもかわいい。僕はつい、彼女の唇に誘われて唇を重ねていた。
味わいつくすようにキスをすると、彼女も目が覚めたらしい。けれどもなにが起こっているのか理解するのに時間がかかっているようだ。僕は心の中でほくそ笑んでいた。ほら、だから言っただろう?無防備でいると、僕に襲われるよって。
満足するまで口づけをして、ひかるから離れると彼女はじっと僕を見つめ返してきた。

「・・・なにするの」
「なにって。キスしたかったから、ひかるに」
「・・・ふぅん・・・」
「もう一回してもいい?」

そう言いながらも、ひかるの許可を待たずにまた口付けた。このキスも全て「約束」のおかげ。ひかるは僕を「約束」で縛り付けていると思って、罪悪感を持っている。だからこそ僕に彼女へのキスを許してくれるのだ。僕はその罪悪感に付け込んで、彼女との甘い至福のときを味わっている。責任感の強い彼女は拒否できない。それを知っていて僕は何気なく強制している。
――中学時代に交わされた「約束」。僕がこの約束に縛られている、というよりもむしろ、僕が彼女を逃がさないように縛りつけている。奇妙で曖昧な関係、境界線。
彼女に「約束」させるまでに追い詰めたのは、紛れもなく身勝手で独占欲の強い――幼い日の僕だった。






Copyright 2010 黒崎凛 All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system