Cool Sweet Honey!

8話

太壱は下に落としていた視線を上げて、あたしを強く見つめてきた。


「・・・もしかして、好きな奴ができた・・・から・・・とか?」
「え?」

太壱は不安を宿した色であたしを見つめて問いかけてきた。彼の声はかたくて、決して冗談ではないのが分かる。
何でそんな結論になるわけ?あたしは太壱がそう判断するわけが分からなくて、そして彼の問いが意外すぎて動揺した。
けれど太壱はその動揺を肯定ととったようで、イラついた顔を見せる。今の太壱はいつもと違って焦燥感を感じている様子であり、だからこそこんな結論を導き出しているのだろうと思った。
太壱らしくない。もっと冷静になった普段の彼ならばこんな冷たい空気にはならない。あたしが思わず後ずさると、それを見咎めた彼に腕をとらわれた。
びくっとして太壱を見ると、彼の表情は見たことのないくらい――怒りに満ちて冷ややかだった。

「ねえ・・・だから拒絶した?僕に耐えられないから?そいつに誤解されたくないから?――それは悪かったね、謝るよ」
「なにいってるのよ。あたしは――」
「でも、例えひかるに好きな奴ができたとしても約束は守ってもらうよ。僕は君の処女を貰うし、嫌がっても泣いても最後まで抱くから。――当然だよね?5年間、君がその権利を奪ってきたんだから」
「・・・・・・っ」

――あたしがその権利を奪ってきた――
……太壱の言葉があたしの胸に突き刺さる。
それは事実。あたしに反論の余地はない。太壱はあたしの約束に付き合ってるだけ。あたしを抱きたいだけ。疑念は膨らむ。そして息苦しくなった。
あたしはどうしてショックを受けているんだろう・・・。わかっていたことじゃない。そう、わかってたことよ・・・。
太壱の指があたしの唇に触れて、上から下まであたしの体を見渡す。その様子は冷たいながらとても妖艶で、あたしはこんな状況にもかかわらずどきりとしてしまった。

「ひかる。君は僕のものだろう?・・・この唇も、胸も、指も・・・髪の毛一本一本から爪先まで・・・すべて。渡さない、絶対に」

独占欲に満ちた言葉。だけどそれはあたしに対してのものじゃない。
そうね、あんたたち卑しい男たちが大好きなこの体に対して、他の男に渡したくないと思うのよね!
声を上げて笑いたくなる。そして泣きたくもなった。
けれどもそんな気持ちは見せずに、あたしのプライド全てを注ぎ込んで太壱を睨みつけた。

「・・・あたしは逃げないわよ。あんたが約束守ったらちゃんと差し出してあげるから安心なさい。あんたが欲しがってる、この無駄に男受けする体をねっ!」

途端に太壱の体がこわばった気がした。そして彼を覆っていた酷薄な空気が消え去って、正気に戻ったように自らの言動にやっと思い至ったようだった。
気がしただけで、気のせいかもしれない。だけどそんなことはどうでもいい。あたしはすぐに太壱を押し戻してその場から逃げ去ったからよく分からなかった。
ひかる、と太壱が焦りを含んだ声であたしを呼び止めようとしていたけれど、あたしは構わずに振り返らなかった。





***



当然のことながら、大学やバイトの行き帰りは気詰まりする時間となった。ぎくしゃくするのはどうしようもない。
帰りの気まずい車内で太壱はすぐに謝った。
怒鳴ってごめん。ひどいことを言ったよね?謝って済むことじゃないかもしれないけど、ごめん――と。
あたしは謝罪を受け入れたけれど、あの激しい言葉こそが太壱の本音だと思っていた。普段穏やかにあたしに接しているからこそ、あれが太壱が心の奥に隠した本音。

あたしが太壱を避けているせいか、バイトでは高野さんと太壱が一緒にいるのをよく見かけた。その度に胸が締め付けられるようになるのがたまらなく不快だった。
そのためかあたしと太壱の関係がおかしいと、周りには簡単に気付かれてしまったのも当然だったのかもしれない。

「太壱と喧嘩でもしたの?ひかるちゃん」

一つ年上のバイト先の先輩、斎藤さんにそう聞かれてあたしはなんて答えたらいいのか、言葉につまった。彼は気さくな人で、大学ではラグビー部に所属しているらしく、がっちりとしたいかにも「スポーツマン」らしい体格をしている。
あたしは曖昧に微笑んだ。

「…喧嘩したわけじゃ…ないんですけど」
「そうなの?一緒にいつもいるから、喧嘩したのかと思ったよ」
「…そんないつもいつも一緒にいるわけにはいきませんから」
「そうなんだ?でもさ、マジ普段は太壱が完全ガードしてっからなぁ…。だから俺的にはラッキーかもね」

と、斎藤さんが快活に笑う。こうやって調子のいいことを言っているけれど、斉藤さんはよき先輩でもあって気が楽だった。
今はバイトが始まる前のわずかな時間。あたしはできる限り太壱から離れようと思っていた。斎藤さんと話していると、店長が急いた様子であたしたちの元にやってきた。

「神崎さんっ。10時からラストまで加藤くんの代わりに入れない?高熱だしたらしくてさ…」
「…そうなんですか…。それなら…あたしは構いませんけど…」
「ほんと!?ありがとう!…ああ、でも二ノ宮くんと来てるから帰りの足がなくなっちゃうか。二ノ宮くんに頼んでも同じだろうしな…」
「店長。それなら俺がひかるちゃんを送ってくって手もありますよ。俺もラストまでだし」
「斎藤くん!!頼んでもいいかな!?」
「もちろんですよ。ごめん、ひかるちゃん。勝手に言っちゃったけど俺でよかった?」
「はい、助かります」
「二人ともありがとうね!風邪流行ってるから二人も気をつけて。高野さんも風邪気味らしいしね」
「…はい」

店長の言葉を受けて高野さんを改めて見れば確かに辛そうだ。バイトして悪化しないといいけれど…。
太壱も彼女に声をかけている。その様子を何とはなしに見ていると、太壱と目が合ってしまった。とっさに目をそらすと彼の空気がぴりぴりとして・・・険悪なものを感じた。
隣にいる斉藤さんは、苦笑していた。


それから刻々と、何事もなくバイトの時間は過ぎていった。10時に近づき、スタッフが入れ代わる時間だ。あたしは引き続きラストまで働くことになったので、まかないをもらって休憩することになった。
スタッフルームに行くと10時で上がりの高野さんと太壱がいた。
太壱があたしを見るとほっとしたように笑った。

「ひかる、よかった。高野さんがやっぱり辛いみたいで、帰るのにも20分くらいかかるらしいんだ…だから、」
「じゃあ、ついでに送ってあげればいいじゃない。放っておけないし、送るくらい簡単でしょ」
「そうだよね。ひかるはもう帰れる?」
「……あたしはラストまでやることになったから」
「そうなの?じゃあ高野さん送ったら適当に時間潰して、ひかるを迎えにくるよ」
「わざわざそんなことしなくていいわよ。斎藤さんが送ってくれるらしいから」

あたしがさらりと告げると途端にぴりっとした空気になった。太壱の視線が険しくなったのがわかる。

「…だめだ。他の男にひかるは送らせない」
「他の男って…斎藤さんはよく知ってる先輩でしょ」
「それでもだめ。君を男とふたりきりにしたくない。ましてや夜の車内なんて論外だ」
「・・・わかったわよ。勝手にすれば?」

普段は穏やかな太壱が今みたいに、険しい表情で強く言い切るときは何を言っても無駄だと心得てる。
そんなにめんどくさいことをしたければすればいい。あたしは諦めの気持ちで太壱の要求をのんだ。
太壱はあからさまなくらいほっとした様子で表情を緩め、あたしに向けて微笑む。

「よかった。じゃあひかる、がんばって」
「あんたはちゃんと送り届けてあげなさいね。高野さん、お大事に」
「すみません、迷惑かけます・・・」
「気にしなくていいよ。困ったときはお互い様」
「そうそう。何かして欲しかったら、太壱をこき使えばいいからね」

こくりと高野さんが頷き、太壱が彼女を気遣いながら部屋から出て行った。
はあ、と一気に大きなため息が漏れる。二人がいる間は何とか抑えていたけれど、なんだか息苦しかった。
体調の優れない知り合いの女の子の面倒を見てあげるのは当たり前だし、むしろ手を貸さなかったら人でなしだ。あたしだって太壱に送ってあげるように提案した。
だけど・・・小さな不安があたしにはあった。何が不安なのか、どうしてこんな気持ちを抱くのかはわからないまま、あたしはそれをふり払う。
ああ、もうめんどくさい!もやもやして気持ち悪いから、考えるのはやめるべきだ。
そんなことよりも、母さんにバイトをラストまですることになったってメールしなきゃならない。



――賄いを食べ終わって休憩時間が終わると、あたしはすぐに仕事に戻った。
10時以降、ピークを過ぎるとお客はどんどん少なくなる。その分バイトも楽だった。
営業時間は0時まで。それから一時間ほどが後片付けの時間になる。
後片付けだけになると気が楽になって、会話する余裕も出てくるからか、斉藤さんや店長ととりとめもない話をしながら働いていた。

「そういえば、高野さんは太壱が送ってったんだっけ?」
「はい、そうです。やっぱり熱っぽいみたいで、その状態で一人で帰らせるのは可哀相だったし・・・」
「そっかぁ。高野さん、一人暮らしだっけ?太壱の奴、送り狼にならないといいけどな」
「・・・そうですね」

斉藤さんが冗談っぽく言った一言にあたしはどきりとした。また小さな不安がじわじわと広がって来るのを感じて、あたしは唇をかみ締めた。
バカ、あたしは何を考えているんだろう。
胸騒ぎがした。とても嫌な予感がして――形のない不安があたしをかき乱していた。






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