Cool Sweet Honey!

5話

――時刻は16時20分。あたしはバイトに行く準備をしていた。
17時から22時までバイトしなくちゃならないから、それまで何も口にできないのがきつい。空腹にならないように菓子パンを口にしているとき、誰かが帰宅する音がした。
10歳下の弟、駿(しゅん)はすでに帰宅して友達と遊びに行ってしまったし、母さんはリビングにいる。医者である父さんが早く帰ってくるわけがない。
ということは一つ下の弟の航貴(こうき)だろう、と見当をつけていたんだけど。

「ねぇ、ひかる!ひかる、早く来てよ」

男にしては高めの声が玄関から聞こえる。あまりに急かすので、自分の部屋から出て行くと弟がいた。
母親似の航貴は女の子のように可愛らしい容姿をしている。少なくとも、容姿は。そして航貴の隣には太壱がいた。航貴がにこっと笑う。

「太壱と偶然下であったんだ。ひかるの事迎えに来たんだろうと思って、連れて来たよ」
「航が全然成長してなくて驚いたよ。久しぶりに会ったはずなのに全然そんな気がしないよね」
「あ?テメェ何が言いたいんだコラ。すくすく伸びればいいってもんじゃねぇぞ、殺されてぇのか太壱」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃないです」
「そう?それならいいんだけどね」

航貴がブラックオーラをすぐに引っ込めて、太壱の胸倉を掴んでいた手も下ろす。
弟の愛らしい笑顔から極悪な言葉が飛び出すのは昔からで、太壱の立場がなぜか弱いのも昔からだった。
航貴はさっさと家に上がって、リビングに向っていった。

「・・・待ってて。すぐ行くようにするから」
「うん。ごめんね、早く来すぎちゃった」

あたしと太壱のバイト先は同じで、太壱の車に同乗している。これもあたしが別に頼んでいるわけでもなく、太壱が言い出したこと。
あたしは母さんにバイトに行くことだけ伝えて、彼と一緒にバイト先に向った。



***



15分ぐらいもすれば、バイト先である居酒屋に着いた。
今日店に行くと見知らぬ顔があって、すぐに新しいバイトの子かな、と思った。
最近人手不足でシフトが組みにくいと店長が嘆いていたから。
大学生っぽくて、とても女の子らしく可愛い子。瞳が大きくて、茶色く染めた髪は一つにしばっているけれど、ふわふわとして可愛らしい。お人形みたいな彼女をあたしが思わず見つめていると、彼女もこちらを見ていた。
あたしを、というよりも隣にいる太壱を。頬を赤く染めながら熱い視線を送っていた。
ただ立っているだけで太壱は目立つ。身長も180以上あるし、体格もよく、顔も良い。
ほら。こうやって簡単に太壱は簡単に女の子を惚れさせる術がある。本人がそれを知っているか知らないかは、わからないにせよ。
17時開店の前に店長が彼女を紹介した。

「新しく僕たちスタッフの仲間になる、高野優実さんです」
「はじめまして、高野優実です。・・・宜しくお願いします」

高野さんは少し緊張しながら挨拶をした。こういう子を「かわいい」って形容するんだろうと思っていると、彼女と目が合った。ペコリと私に会釈をしてくれた。

「高野さんは大学1年だったよね?二ノ宮くんと神崎さんが歳が近いから色々教えてもらうといい」
「あ、そうなんですか。迷惑かけると思いますが、宜しくお願いします・・・」
「こちらこそよろしく。あまり緊張しなくて良いからね。あたしが神崎ひかるで・・・」
「僕は二ノ宮太壱。よろしくね、高野さん」
「は、はいっ」

太壱がいつものように笑顔で笑いかけると彼女は顔を赤くした。全く、太壱も罪な男だこと!
そろそろ開店時間が近づいてきたので、やることはやろうとあたしは二人から離れることにした。
ちょっとムカムカした気持ちには気づかないフリをして。

「ひかる、どうしたの?」
「別に・・・。あんたは今日ホールじゃないんだからついてこなくていいのよ」
「そう・・・だけど・・・」

つんとした態度のまま太壱から距離をとる。なんとなく居心地が悪かった。
すぐに開店すると、ちらほらとお客さんが来てそれどころではなくなった。なんだか嫌な気分。




***

8時ごろ、会社帰りのサラリーマンやサークルか何かの飲み会をする大学生が来て忙しくなった。
注文をとって、料理を運び、酒を運ぶ・・・相手のお客さんは酒が進んでだんだん酔いが回ってくるから、扱いにくくなる。
今日もすでに出来上がっている集団があった。あの空気の中に入って行きたくはないけれど、いくしかない。

「お待たせしました、生ビールです」

笑顔を作って接客した。さっさと置いて去るに限る、と思っていたのに。

「お姉さん、キレーだねー!すげぇ、なんでこんなところで働いてるのー?」
「美人!おい、美人が来てくれたぞっ」
「やっべぇ!お願いします、付き合ってくださぁい」
「バカヤロー、お前彼女いるだろーが」

とかなんとか30代くらいの酔っ払いサラリーマンがからんできた。心の中で罵倒したい気持ちを抑えて、なんとか笑顔を作る。

「それでは、失礼します」
「お姉さん、もう行っちゃうの?まだいいでしょ」
「そうそう、ちょっとくらい相手して」
「……」

手首を掴まれて振り払おうにもできなかった。…最悪だ。それでもなんとか言って抜け出さないと。
何もこれが初めてじゃないし、対処できる。

「申し訳ありませんが、お客様――」

私が逃げ出すべく口を開いた、その時…後ろからあたしの体が引き寄せられた。

「失礼致します、お客様。つくねと焼き鳥お持ちしました」

そうやって運んできたものをテーブルにおいて、完璧な接客スマイルを見せたのはやはりというか、太壱だった。けれども笑顔でいてわずかに怒りを滲ませているのが、あたしには分かった。
幸いなことに酔っ払ったお客さんは太壱の静かな怒りは感じていない。
太壱の登場によって掴まれていた手首はいつのまにか自由になっていた。太壱が手を差し出したので、あたしは彼の手を取って立ち上がった。
お客への挨拶もそこそこに、あたしはそのまま太壱に引っ張られるように歩かされた。

「店長。少し時間下さい」

店長は太壱の有無を言わせない口調に何かを感じたのか、苦笑しながら頷いた。太壱の次の行動はあたしにも読めた。
太壱があたしを客側からは見えない裏側に連れて行くと、あたしに向き直る。あたしは壁を背にさせられていた。

「大丈夫だった?」
「・・・何心配してんのよ。あれくらいなんともないし、あんたがわざわざ来なくてもあたしは対処できた。いつもいつも、余計なお世話なの!」
「・・・だからいつも言ってるんだ。やっぱり居酒屋なんてやめよう。男たちに絡まれない、もっと安全なところでバイトしたほうがいいよ。ね?」

太壱は本気だ。本気でこんな過保護にも度を越したようなことを言っている。あたしのことをお客に絡まれたら何もできないみたいに扱って、何かがあるたび「辞めよう」ともちかける。
今まで受け流してきたけれど、これだけ言われ続けるとさすがにかっとなった。

「やめるなら太壱が勝手にやめればいいでしょ!?あんたが勝手についてきたんだから。言っておくけど、あたしはあんたの言う通りになんかしないわよ、絶対にね」
「ひかるが辞めないなら僕だって一緒にいるよ。僕はただ、心配なだけだ」
「だからその心配が余計なお世話だって言ってるの!あたしは心配されなくても自分の身くらい守れるし、守られるようなか弱い女の子じゃないのよっ!」
「僕にとっては誰よりも守るべき女の子だ」

太壱が真剣な瞳ではっきりと言った。太壱の長くきれいな指があたしの頬を滑る。
色素の薄い茶色い瞳はあたしの漆黒に近い瞳をとらえて離さない。どくんと心臓がはねた。太壱の顔なんて見慣れているはずなのに。
キスできるくらい近い距離だった。それを意識して、あたしはさっと目を逸らした。

「・・・そろそろ戻らなくちゃね」

太壱の手があたしから離れる。太壱が真剣だった顔を穏やかに緩めた。自分の持ち場に戻るために太壱が歩みを進める。

「・・・ごめんね、ひかる。我が儘言って。・・・僕のエゴなんだ。ひかるのやりたいことを邪魔する気はない。・・・だけど、僕の気持ちだけは知っておいてほしい」

あたしに微笑んだ後太壱は仕事に戻っていった。
・・・謝るなんてずるいじゃない。あたしが苛立ったとしても太壱はすぐに謝ってしまうからあたしの怒りも長続きしない。そうしてすぐに元通りの関係になる。
――僕にとっては誰よりも守るべき女の子だ――
太壱はあたしを「女の子」扱いする。あたしは正直言ってそれに慣れていない。大概なんでも一人でできると思うし、人に甘えることも滅多にない。普通の女の子みたいに可愛く振舞ったこともない。
そして、あたしは無性にイライラしていた。さっき、太壱との距離が近づいたとき・・・とっさに「キス」という単語が思い浮かんでしまった。
太壱がしないと分かったとき、意外だと思って・・・少し、ほんの少しだけ――「がっかり」した。
何よ、がっかりって。それじゃあ、あたしがこんなところでして欲しかったみたいじゃない!
期待してるなんてこと、ありえない。ちがう、ただの思い違いよ。

「・・・一発殴ってやればよかった・・・」

ぼそりとつぶやいた一言は、本当は自分相手にしてやりたいことだった。






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