Cool Sweet Honey!

12話

あたしは太壱を避けた。彼もそれを察してか、あたしに近づこうとはしなくなった。
太壱は普通の「幼なじみ」としての距離で接しようとしていたけれど、あたしにはその距離でさえも苦しくてできるだけ顔を合わせないようにしていた。
こんなにも太壱と顔を合わせず、口も聞かない期間が長いことは一度もなかった。小学校が別だったときでさえ、暇さえあれば互いの家を行き来していたし、家族ぐるみで会っていたから。
太壱を見ると思い出してしまう。太壱がキスをしていたこと。嘘をついていたこと。あたしを好きなわけじゃないこと――それが一番、あたしには辛いことだった。
一つのことが信じられなくなると、全てが信じられなくなる。太壱のことも何が嘘で何が本当なのかあたしには分からなくて、信じられなかった。
――「せめて僕の気持ちだけは疑わないで・・・!こんな状況で何を言うんだって思われるかもしれないけど、僕は」――
”僕の気持ち”?太壱の気持ちってそもそも何よ。本当にあたしへの想いがあるっていうの?
そんなことを考えながらあたしは、太壱がすぐ側にいない生活に違和感を覚えてしまっていた。太壱が側にいることはずっと当たり前だった。だからこそ余計に・・・かけがえのない何かを失ってしまったように感じられて・・・。

時間は過ぎていく。あたしと太壱の重々しい関係のまま、それでも時が過ぎるのは早かった。あたしがそれを意識したのは、母さんの言葉を聞いたときだった。

「ひかるちゃん、誕生日は太壱くんと過ごすってことでいいの?」
「・・・え・・・」
「忘れちゃった?ひかるちゃんの誕生日は今週の土曜日でしょ?」
「・・・・・・そうだっけ・・・・・・」
「うん、そうだよ。太壱くんが一ヶ月くらい前だったかな?外泊許可をくださいって言ってきたの。だから私は、ひかるちゃんをお祝いしてあげてねって答えたんだけど」

親にまですでに根回しができてるってどういうことよ・・・。そういえば、ホテルを予約したとまで言っていたっけ。やる気があるにも程がある。
――でも、もう関係ない。太壱との約束は終わって、あたしが太壱と誕生日を過ごすこともないし、ホテルだってすでにキャンセル済みだろう。
太壱との約束がなくなってから、自分の誕生日を意識しなくなっていた。今はもう、自分の誕生日はただ歳をひとつとって大人になる日でしかない。少し前までのその日は、太壱との約束を果たす日になるとあたしは漠然と思っていたにもかかわらず。
あたしはもうすぐ20歳になる。あたし自身、何も変わらないまま「大人」という年齢になる。なんてことだろう、時間だけはただ早々と過ぎ去ってしまうなんて。

「母さん、太壱とのその日の約束はなくなったの。だから太壱とは過ごさないわ」

母さんにそれだけ告げて、自分の部屋に戻った。約束――母さんたちは知らない、あたしと太壱だけの「約束」はなくなったのだという意味もこめて。


***



「ねぇ、ひかる。入るよ」

その日の夜、弟の航貴がそう言ってあたしの部屋に入ってきた。航貴はそのままベッドに腰掛けて、勉強机にいるあたしを見る。航貴がこの部屋に入るのは何も珍しいことではないけれど、何か話に来たに違いないと思って、教科書をとじた。
勉強がはかどっていたわけでもないから、航貴が話に来たとしてもかまわない。だけどなんとなく、あたしにはあまり良くない話題を持ってきたような気がした。あたしの予感は航貴が口を開くことですぐに的中した。

「ひかる・・・太壱のことだけど」
「・・・何よ。なんであたしに太壱のことを話すの?関係ないでしょ」
「もういい加減にしなよ、ひかる。僕も今まで黙って傍観してたけど、そろそろ素直になってもいい頃だと思うよ。ねえ、このままで本当にいいの?見て見ぬフリはもう止めよう。見ていてイライラする」
「何よ・・・。素直になれって言うけどどうやって?何に対して素直になれって言うの?知ったような口利かないでよ!」
「・・・ひかるは太壱のことが好きなんでしょう?その気持ちを閉じ込めるなって言ってるんだ」
「何であんたまでそんなこというのよ!どうして何でもかんでも恋愛と結びつけるの?どうして”好き”だと決め付けるの?もううんざり!!いやよ、あたしは恋愛なんて――」
「・・・そうだね。ひかるがかたくなに恋愛ごとを拒絶するようになったのは中3以降だったよね」
「やめてよ、思いださせないでったら!」

あたしは耳をふさいだ。できるなら思い出したくもない記憶。この5年間、思い出さないようにしていた。「恋愛」と密接に結びついていたから、余計にあたしは「恋愛」をかたくなに拒んだ。
嘲笑する声、罵倒の言葉。身勝手で嫉妬に駆られた「恋するオンナ」の醜さ。人の事などお構い無しな卑しいオトコたち。ずたずたにされた自尊心――。
あたしはあのとき、恋愛の負の側面にさらされた。昔から恋愛というものが理解できなかったけれど、あれからさらに理解不能になった。人を「好き」になどなりたくない。なるものか。あたし自身、あんな風になるのなら絶対に認めない。
あたしにとっては恋愛はいわば、あけてはならない「パンドラの箱」だった。

「・・・ごめん、悪かったよ。じゃあ、質問を変える。ひかるは太壱が何の感情をなしに女の子を誘惑できるって思う?ひかるに嘘をついて、立ち回れると思う?」
「・・・できるんじゃないの?だからこそ今こんな状況になってるんだから!」
「そう?僕はそうは思わない。僕の知ってる太壱はバカみたいに人がよくて、疑うことを知らなくて、感情をすぐ表に出すから嘘をつけない。そんな時々情けない奴だよ。そして――誰よりも一途にひかるを愛してる奴なんだ」
「何で・・・そうやって言い切れるわけ!?あたしは知らない、太壱がどう思ってるかなんて――」
「それはひかるが信じてないから。変なコンプレックスといやな思い出のせいで見えていないだけ。だから簡単なことがこんがらがって難しく思えるんだよ。・・・よく思い出してみて。太壱がいつもひかるに何を伝えてきたのか、何かの行き違いですれ違ってるだけなんじゃないのか」

――太壱がいつもあたしに何を伝えてきたのか――
航貴の問いにはっとした。言われてみればたしかにそうかもしれない。太壱はいつもどんな風にあたしに接していただろう。あたしのことをどれだけ――好きだと伝えてきただろう。
あたしは最初から彼の気持ちを疑ってかかって、彼のことをちゃんと見ていなかった。信じていなかった。そして、「約束」を覆されたショックで、太壱に早々と「有罪」の烙印を押した。
あたしは「約束」にすがり付いていたのだ。あんな愚かな「約束」が守られたなら何かが変わるのだと信じて。
航貴はいつの間にかあたしの目の前にきていた。頭の中が混乱しているあたしをそっと見つめてくる。

「ひかるはどうして太壱に”約束”したの?」
「…なんで、知って」
「ごめん、太壱から聞き出したんだ。ふたりとも辛気臭いからいい加減いやになってね」
「…そう」
「ねえ……どうして20歳になって約束を守ったら”抱いてもいい”って言ったの?太壱を試したいだけならわざわざ身を差し出さなくてもよかったのに」
「・・・それは・・・」
「太壱が相手じゃなくても、”約束”した?」
「そんなわけないじゃない!」
「ふぅん、それはどうして?」

――どうして?どうしてだろう。
ただ太壱以外にそんな”約束”をすることも、”抱かれる”ことも想像できなかった。それどころか、体に触れられることを考えるだけで嫌悪感を覚える。
航貴は満足げに微笑んでベッドから立ち上がった。

「僕の大切なお姉サマに一つアドバイス。手遅れにならないうちに自覚してね?」

航貴は言いたいことをすべて言い切ったらしくて、黙り込むあたしをほうって部屋から出て行った。あたしは航貴がいなくなったことを意識することなく、航貴に問われたことを考え続けていた。
――あたしが太壱と約束した理由。
ベッドに体を預けて、目を閉じた。あの時――中学3年生のときの事件は忘れようにも忘れられない。
あの時あたしは完全に男が嫌いになった。軽蔑するようになった。恋愛感情も疎ましく思っていた。そして……あたしと太壱の「約束」が始まった。

記憶は、5年前の中学三年生の冬に遡る。






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