Cool Sweet Honey!

10話

今日は久しぶりにバイトがある。高野さんともあれから会っていないから、あたしは少しだけ気が重かった。彼女が何かしたわけじゃないけれど、胸のムカムカが思い出されるから。
太壱は友達から電話が来たようで、あたしは一足先にスタッフルームに向かっていた。中に入るともう高野さんがいて、あたしを見ると微笑んで挨拶をしてくれた。

「神崎さん、おはようございます」
「……おはよう」
「あれ、二ノ宮さんは一緒じゃないんですか?」
「今電話中なの。もう少ししたら来ると思うけど」
「そうなんですか。じゃあ急がないと…」
「え?」
「いえ、こっちの話です」

高野さんが呟いた言葉は小さすぎてあたしにはわからなかった。彼女も気にしていないようで、またあたしにかわいらしい表情を見せる。

「神崎さん…二ノ宮さんと付き合ってないって本当ですか?」
「…うん」
「ただの幼なじみってことは、二ノ宮さんの恋愛には関係ないってことですよね……」
「……そうよ」

あたしは自分に言い聞かせるように高野さんの問いに頷く。そう…関係ない。関係ないはず。胸が微妙に痛むのも、気のせいだ。
彼女はあたしの答えに満足したように笑みをみせていた。その笑みが一瞬、意地悪く見えたように感じたけれど……すぐに愛らしい笑顔に戻っている。
…これも気のせい…よね。

「じゃあ神崎さんは知らないんですねぇ」」
「・・・・・・なにを?」
「二ノ宮さんがキスも、それ以上のことも上手いってこと。そうですよね、ただの幼なじみなんだから知るはずないですよね。二ノ宮さんが慣れてるものだからてっきり私、お二人がそういう関係なんだって思っちゃいました」
「・・・・・・え・・・・・・」
「二ノ宮さんみたいな素敵な人の誘惑を拒むなんてできるわけないと思いません?私、二ノ宮さんになら遊ばれてもいいなぁって・・・」

あたしは、声が出なかった。というよりも声を出すことができずに頭が真っ白になる。最近考えつづけていたことで、心の奥底で信じたくないと思っていたこと。
本当は、太壱は・・・あたしに隠れてしてるんじゃないかって。それにあたしが気づいてなかっただけじゃないかって・・・。それが、真実だった――?
高野さんを送り届けた日。よそよそしく気まずそうにしていた太壱。あたしに触れようともしなくなって――それは彼女を抱いたから?だから「約束」もどうでもよくなったのかもしれない。
思えば、あれからあたしの誕生日について何も言わなくなった。誕生日まで一ヶ月をきってから、毎日のように話題にしていたのに。

何か言わなくちゃ。彼女の問いに頷いて、「関係ない」って伝えなければ。
そう思うのに・・・その言葉が出なかった。あたしは確かにショックを受けている。その事実に打ちのめされた。

「あ、二ノ宮さん。おはようございます」
「・・・・・・おはよう」

太壱がやってきたようで、高野さんと挨拶を交わすのが聞こえた。あたしはドアの方に背を向けているため、太壱の表情はうかがえない。だから彼が苦々しげに顔をゆがめていることも気がつかなかった。そして高野さんが太壱を見て、ほくそ笑んでいたことも。
太壱は全く反応しないあたしの様子を不審に思ったようで、近づいてくるのが分かった。今は太壱にどう接したらいいのか全く分からない。
今までの関係を根本から揺るがすようなことを突きつけられて、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「ひか・・・」
「・・・もう行かないと。遅れるわよ」
「え・・・。あ、うん・・・」

それだけ何とか冷静な声を絞り出して、あたしは太壱の顔を見ないまま部屋から抜け出した。
つかつかと店の中を進んでいく。混乱した思考のまま、高野さんの言葉が頭から離れない。
――誘惑?キス?そして太壱が、あたし以外と――。
どういうこと。何が起こってるの。違う、どういうことかは分かってる。今のあたしは認めたくないだけ。
高野さんは本当のことを言ってるのだろうか?嘘だっていうことはない?だけど、あの子が嘘をつくだろうか――あんなにも可愛らしい女の子が。
それじゃあ、やっぱり。
息がつまる。脈が信じられないくらい速い間隔で打っている。脈打つ音がすぐ近くで感じられる。
もし高野さんが言ったことが本当だったら、「約束」は無効。太壱があたし以外にキス、もしくはそれ以上の事をしていたら、あたしは一生太壱に身を任せることはないだろう。
太壱があたしへと捧げた「童貞」こそが、彼が他の男とは違うことを証明する・・・身の潔白の証なのだから。一時期の快楽を捨ててでもあたしを選ぶという、証明。
――事実を確かめなくちゃならない。
嘘か真かであたしと太壱の関係もまた変わる。5年前から続くあたしと太壱の微妙な関係の終焉――どちらの場合にせよ・・・変わらざるを得ない。
太壱を問い詰めよう。太壱の答えを聞いて、判断しよう。バイトが終わってから、二人で話さなければ。
その結論に達すると気分も幾分か落ち着いて、今はバイトに集中しようと思った。


***


話はバイト先を出て、車の中ですべきだとあたしは考えていた。できるだけ早く話してしまいたい。そう思っていたけれど、なかなかうまくいかなかった。
10時近くになって交代する時間になると人が一気に入ってきて、あたしは延長を余儀なくされることになってしまった。太壱たちも10分くらいは手伝っていたけれど、今は店長が上がらせていた。
あたしだけもうちょっと延長することになって、太壱はスタッフルームで待っている。30分を過ぎると人の流れも落ち着いて、上がらせてもらえることになった。
いざ太壱に問い詰める時間になるとあたしは少し緊張を感じて、歩みが遅くなる。聞きたいような聞きたくないような……複雑な気持ち。

スタッフルームに近づくとドアがすこしだけ開いていた。明かりが漏れ、人の話し声が聞こえる。男と女の声……太壱と高野さんしかありえない。
会話の内容までよく聞こえなかった。もう少し近づけば、わかるのかもしれないけど……そんなことはしたくなかった。
しばらく二人の話が終わるのを待っていた。何を話しているかわからないから余計に部屋に入りづらさを感じる。
その時、部屋の中で無言の時間が続いた。話が終わったのかと思ってドアに近づく。そして、ガタガタっと騒々しい音がした。
一体何事かと思ってドアに近づき、わずかに開いた隙間から中を覗き見た―――


目に飛び込んできたのはすべての問いの答えだった。あたしと太壱の5年間の約束の終焉。突き付けられた真実。
頭では何も考えられなくなって。目の前の光景をなかなか信じることができなくて。あたしの世界は真っ暗になった。
―――キスしている。太壱が。あたし以外の女の子と。
「約束」は破られた。あたしと太壱の関係はまた5年前以前の関係に戻る。曖昧な境界線のない、普通の「幼なじみ」に。
太壱も結局は――他の男たちと同じで理性より情欲。あたしのことなんて、本当はどうでもいいんでしょう。
黙っておけば隠れて何をしてもばれないって?今までもそうだったの?あたしを好きだと言っていたくせに、全て嘘だった?
全身に冷たい感覚が襲う。
あたしには長い時間に感じられたけれど、すぐに二人は離れていた。

「何……っ」
「これくらいで何慌ててるんですか。一度した仲なのに」
「……勘違いも甚だしいね。あんなもの、何の意味もないってわからない?僕は、」

太壱が怒鳴りかけて声が止まった。彼は人の気配を感じたらしく、ドアの前に立つあたしに気がついて…血の気が引いたように衝撃を受けた顔をしていた。
あたしから目を離さず、声も出せないくらい呆然としている太壱。
…あいにく、全て見せてもらったのよ。「約束」が無効になるには十分すぎるくらいね。
「一度した」。それを否定しなかった太壱。高野さんの言葉は正しかった。そしてあたしが見た光景がそれを裏付ける証拠。
あたしはこれ以上ないくらい冷たい目で太壱を見据えた。

「…これが、あんたの答えってわけね…太壱。最近よそよそしかったのも、あたしに突然手をだそうとしなかったのも、こういうことなの。納得したわ…当然よね、バカみたいに清廉でいつづけるなんて無理な話だったのよ。あんたはあたしの知らない間に女を抱きながら、あたしに好きだと言って…あたしを抱こうとした。ただあんたの興味と欲求を満たすためだけに」
「待って・・・ひかる、ちが・・・っ」
「何が違うのよ!あんたはあたしの事始めから好きなわけじゃないのに!あんたは・・・あたしが約束を守ったら抱かせるって言ったから、今までそんなフリをしてたんでしょう・・・!」
「だから・・・ちがうんだよ!僕がひかるを好きな気持ちは変わらない!僕が君を抱きたいのは、君が好きだから・・・っ」
「もうそんな都合のいい言葉信じられるわけないじゃない!あんたはキスした。もしくはそれ以上のこともしてた。それなのにあたしに黙ってたってことは、約束を破りながらあたしを手に入れようとしてたってことだわ!それを・・・そうしようとしてた太壱を・・・どうやって信じればいいの?」
「・・・それは・・・」
「ほら、反論なんてできないでしょう?あんたが過去に何をして、あたしをどう思ってるかなんて知らないけど、どちらにせよ今のキスで約束は無効なのは変わらないわ!」
「・・・ひかる・・・お願いだ、せめて僕の気持ちだけは疑わないで・・・!こんな状況で何を言うんだって思われるかもしれないけど、僕は――」
「触らないで!」

太壱があたしに歩み寄って、肩に触れようとした。あたしはかっとなって叫ぶ。太壱はあたしの激しい拒絶に息を呑んでいた。
叫んで、興奮して、息が荒くなる。

「・・・あんたも結局、他の男たちと同じだっただけよ・・・!あたしよりもこの体が好きな・・・卑しい男たちと。けど勘違いしないで、約束が破られたからってあたしは構わないのよ。あたしはこれでせいせいしたの!これからはあんたにキスされなくても済むし、抱かれることもないんだからね!」

すると――太壱があたしの言葉に、今までで一番傷ついた色を見せた。彼の世界が反転して、真っ暗になったかのような絶望があった。
あたしはそれを見つけて、怯んだ。どうしてそんな傷ついた表情を見せるの?どうして泣きそうな、暗い顔をしているの?
太壱は呆然と、あたしの顔を見ずに・・・視線を下におろして静かに問いかけた。あたしも、誰も彼の周りにはいないように、静かに。

「・・・ひかるは・・・僕にキスされるのも嫌だった?触れられることも・・・耐えられなかった・・・?」
「そうよ・・・当たり前でしょ。いやだった。だからうれしいの。これであんたから解放されるって思うとね」
「・・・そっか・・・。・・・そうだったのか・・・。ふ、ふ、くく・・・っ」
「・・・・・・太壱・・・・・・?」

突然、狂ったように太壱が肩を揺らして笑い出した。自嘲気味なのに、まるで何もかもがおかしくてたまらない、というように。
あたしはそんな太壱の様子から目を離せなかった。笑っているのに今でも泣きそうな響きの声だった。その切ない響きにあたしは胸が苦しくなる。
しばらくして、太壱が笑うのをやめた。そしてゆるりと顔を上げると、あたしを見つめ・・・さっきまでの様子が嘘だったかのように、やわらかく微笑んだ。ただ一つ、絶望の色だけは残して。

「ごめんね、ひかる。・・・ごめん・・・。僕は最低だね・・・」

・・・太壱は何を謝っているんだろう。全て認めるってこと?あたしを騙していたことを?
太壱はただあたしを見つめているだけ。いつもと何も変わらない、やさしい笑みで。

「全て・・・終わりにしよう。君に触れることは二度としない。・・・だから安心して」
「・・・そうね」

全てが終わる。これでいい。いいはずでしょう?それなのに・・・あたしは太壱の「終わり」という言葉に、「触れることは二度としない」という言葉に傷ついていた。
・・・バカ。当然なのに。
太壱の顔を見ていられなくて、踵を返す。

「・・・帰るわ」
「じゃあ、送るよ」
「ついてこないで。今日はあんたと一緒に帰りたくない気分なの」
「・・・・・・そうだね」
「じゃあね」

あたしはドアを閉めて、走り出した。ここから歩いて駅まで行って、電車に乗って帰ろう。
冬の夜の空気は冷たくて、寒さが頬を突き刺す。そして知らぬうちに冷たいものが頬を伝っていた。







2010・2・11





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